文化財資料
醴泉邑事務所

- Location : 醴泉邑 路下里 70-2
- 1932年に日帝がこの地域の 16の洞を管轄するために建立した治所で, 1937年から醴泉邑事務所として使用してきた。建物の外観の特徴は玄関のポーチ部の半円アーチとペディメント型屋根, 煙突, 水平帯と歯形の煉瓦積み手法などで, 正面性と垂直性, 装飾性を強調している。
東岳寺 石造毘廬遮那仏坐像

- Location : 醴泉邑 東本里 171-1
- 彫刻手法や様式からみると, 典型的な9世紀末の毘廬遮那仏坐像で, 仏像高さは 1.03mで, 仏頭の幅 は 54cm, 高さは 34cm, 台座の幅は 85cm, 台座の高さは 18cmである。
醴泉郷校

- Location : 醴泉邑 栢田里 199-1
- 大昌高等学校の裏側に位置しているが, 外三門から入ると正面に口字形の廚舍があり, 左側の夾門から入ると明倫堂が南向きに立っている。
黒鷹山城

- Location : 醴泉邑 西本面 山 14
- 城壁の幅は底部が 5m, 上部 1.5m, 高さ 2.5~4mで, 総長さは約2kmに至る。井2ヶ所及び, 池と軍倉址とがそれぞれ1ヶ所が確認される。山頂の上部の近くには高麗時代の瓦片が散布し, 東側の丘陵の末端には栢田洞の古墳群が分布している。
新川書院

- Location : 醴泉邑 旺新里 412-2
- 孟巌・金英烈を称えるために建立した書院で, 四柱門, 講堂, 内三門, 祠堂, 典祀庁で構成されている。
眉山学舍

- Location : 普門面 眉湖里 123-1
- 金海人の眉山・金以道が後進養成のために 1676年に建てた学舍で, 学舍の裏側には正面5間, 側面2間規模の八作瓦の母屋が位置している。
普門寺 極楽殿

- Location : 普門面 首渓里 158, 山 137
- 1700年代後半の建築で, 柱心包系と翼工樣式との調和に斜天井と格子天井との混用など, 各様式の時代的折衷や変化過程が感じられる。
繩本洞 石仏立像

- Location : 普門面 繩本里 山79
- 新羅末から高麗初期の作品と推定され, 仏身の真ん中には斜線方向の接合の跡がある。
徳渓里 観物堂

- Location : 龍宮面 徳渓里 273
- 巨済人の潘沖が 1590年に建立した亭で, 正面3間, 側面1間半分規模の八作瓦の家である。
郷石里 石造如来坐像
- Location : 龍宮面 郷石里 192
- 法衣は右肩偏袒, 手印は降魔触地印で, 長方形の左台の側面には前後面に8葉ずつ, 左右面に3葉ずつ, 合計 16葉の仰蓮が彫刻されている。台座及び仏像の様式, 彫刻手法などから高麗初期の作品と推定される。

龍門寺 慈雲樓

- Location : 龍門面 内地里 391
- 1166年(睿宗20年)に初建されたが, 朝鮮 1561年(明宗 16年)にに重建し, 光海君の時に補修された。慈雲樓は正面5間, 側面3間規模の2階樓閣式のマッベ瓦の家である。
味山故宅

- Location : 龍門面 大渚里 259
- 咸陽人の朴世柱が建立したもので, 5代孫の味山・朴得寧が 1825年にここに移建した。
上金谷 四槐堂古宅

- Location : 龍門面 上金谷里 430
- 四槐堂の辺応寧が建立した住宅である。元々は正寝の前面に 字形の舎廊があったが, 崩れて撤去され, 現在は 字形の正寝のみが残っている。
伴松斎古宅

- Location : 龍門面上金谷里 462-1
- 葛川・金賓が1670年~1690年頃に建立したが, 1899年に現位置に移建した。デムンチェに立ち入ると, 正面に 一字形の舎廊があり, 舎廊の後には 字形の母屋がある。
醴泉権氏 屏岩亭及び別廟
- Location : 龍門面 省峴里 93
- 1960年に重建した建物である。

草澗亭
- Location : 龍門面 竹林里 350
- 草澗・権文海が 1582年に草屋として建立したが, 文禄・慶長の役の時に消失したものを 1621年に重建し, 丙子胡乱の時に崩壊されたものを 1870年に建て直して草澗亭とした。

醴泉権氏 永思堂宗宅

- Location : 龍門面 下金谷里 497
- 1560年に建立し, 1780年に重建した正面5間半, 側面5間規模の口字形住宅である。
三江講堂

- Location : 豊壌面 三江里 70
- 清風子・鄭允穆が後学を教育するために 1600年代建立した私設学院で, 前面には学堂を置き, 後には講堂を配置した。
臥龍洞石造如来立像
- 金山寺という大きな寺があったと伝えられるが, 1870年頃にこの仏像だけ発見されたという。 1983年頃, 頭が切断されたが, まだ発見されていない。

咸浦斎舍

- Location : 殷豊面 芙草里 505
- 権儀を含めて三代の墓を守護するために 1800年頃に建立した斎舍で, 前面には4間規模の樓閣を建て, 樓閣の後には広い庭と斎舍がある。
魯峯書院

- 1794年に端宗を追慕するために建立したが, 1866年に毁撤された後, 1921年に重建されて竹林・権山海を祭享している。
薬圃祠堂

- Location : 虎鳴面 黄池里 447
- 薬圃・鄭琢を祭享するために建立した祠堂である。尚賢祠と扁額した祠堂は道正書院の一番奥深い所に位置しているが, 周りには土石垣根をかけ, 垣根の正面には四柱門を立てて出入りするようにした。