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제목자랑2074:권도判書8
작성자장병창 @ 2009.12.23 06:36:39
  예천의 자랑(2074) : 용문면 출신 권도 판서(8)

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  권도 [記事] : 승정원일기/ 정조 2년 11월 20일 (병오) 원본1431책/탈초본79책 (17/18) 1778년 乾隆(淸/高宗) 43년/ ○ 戊戌十一月二十日巳時, 上御熙政堂。大臣․備局堂上引見入侍時, 領議政金尙喆, 左議政徐命善, 右議政鄭弘淳, 兼刑曹判書具善復, 行戶曹判書具允鈺, 左參贊洪樂性, 右參贊李重祜, 吏曹判書洪樂純, 工曹判書權導, 行副司直鄭好仁, 禮曹判書金華鎭, 開城留守兪彦鎬, 訓鍊都正李國賢, 吏曹參判徐浩修, 行大司成李衍祥, 行都承旨洪國榮, 行副司直李普行, 校理宋煥億, 正言趙鼎鎭, 行左承旨鄭民始, 假注書柳文養, 事變假注書李彦祜, 記事官李信祜․鄭東浚, 以次進伏訖。尙喆曰, 日間聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。尙喆曰, 王大妃殿氣候, 何如? 上曰, 一樣矣。尙喆曰, 惠慶宮氣候, 何如? 上曰, 一儀矣。尙喆曰, 淑昌宮患候, 何如? 上曰, 漸至差勝矣。命善曰, 臣於日昨, 司僕郞廳所被嚴敎, 不勝惶恐矣。上曰, 卿言過矣。尙喆曰, 先大王行錄, 臣等輪看後, 依敎持入矣。上曰, 字句間果無未妥處耶? 尙喆曰, 模?之辭, 至矣盡矣, 雖一言半句, 臣等更無容仰贊矣。上命國榮讀之。上曰, 松留及諸臣, 更爲細看, 可也。讀畢, 上曰, 悲感之外, 無以爲喩。尙喆曰, 伏聞社稷臘享大祭, 有親行之命, 當此日候不調之時, 觸冒風?, 達夜將事, 易致聖體之損傷, 伏望深留聖意, 特寢成命焉。命善曰, 來月則寒事想必倍酷, 此時親享, 下情不勝悶慮矣。上曰, 當臨時量爲之矣。尙喆曰, 此濟州前牧使黃?彦狀啓也。以爲今年本島穡事, 均被風災, 新舊還上, 勢難竝督, 舊還姑爲停退, 新還準捧。各寺奴婢身貢, 減一斗, 男丁大同米減一升, 軍兵操鍊停退, 逃老故病?之類, 使之隨闕塡充, 待明春從附近哨司鍊, 依近例擧行事, 爲辭矣。此是守臣, 先爲擧行, 依例啓聞者, 依此施行之意, 分付, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 此洪忠監司李命植狀啓也。備陳災邑, 不可不開春設賑之狀, 營賑穀中一萬三千石許劃, 空名帖一千張成送事, 請令廟堂, 稟旨分付矣。今年所請, 比昨年不甚?然, 而毋論賑穀與帖穀, 如有所餘, 自當還錄, 以爲嗣歲之備, 依所請竝許施, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 頃因慶尙監司李在簡狀啓, 以統營錢還防塞事, 有後日次對稟處之命, 統制使李敬懋, 又以本營事勢之渴悶, 有所馳啓矣。本營貿穀一事, 此在明年事, 當有朝家處分, 而以本營殘敗之形勢, 今年新還之分數停捧, 混入其中, 則其所未捧之代, 將何區劃? 從前災歲設賑時, 軍餉與他還有異, 每有勿論之朝令, 而以今年本道民事, 雖不可準數責捧, 統穀則亦不當全然停捧。就其三等邑, 分數所停之中, 折半使之許捧, ?作將士支放不足之需。至於立本穀, 未捧耗二千四百五十石零, 卽今該道穀物中, 無他給代之道, 姑以元穀中, 推移取用之意, 爲先分付於道臣帥臣處, 何如? 上曰, 依爲之。竝出擧條 上曰, 統營錢還一款, 雖欲防禁, 其勢誠難矣, 大臣之意, 何如? 尙喆曰, 雖或貿穀, 不以歇價勒授民間, 則實爲公私兩便, 而立本之際, 安知其無弊乎? 此所以難處者矣。命善曰, 錢還立本, 雖是統營流來之規, 而旣爲民弊, 則自朝家, 有難許施矣。弘淳曰, 非但統營如此, 他道亦有是弊。若値年豊, 則民或願受, 而如許災歲, 反爲巨弊矣。上曰, 諸堂之意, 何如? 善復曰, 兩湖之穀, 旣不得船運, 立本之規, 又從而申禁, 則統營事勢, 其將難支, 許否間, 商量處之, 好矣。允鈺曰, 此非錢還, 乃是立本, 而若令統營, 無此料辦, 則將士支放, 必有不足之患矣。樂性曰, 立本充補, 爲民巨弊, 而聞統營非此則不可支?云矣。重祜曰, 錢還與立本, 俱爲民弊, 一切防塞, 似好矣。樂純曰, 曾聞湖南立本之規, 爲生民到骨之怨, 今於嶺南, 又有此弊, 不勝驚歎。大抵一包米定價三兩, 一石租定價一兩, 當春散給, 待秋準捧, 民安得不倒懸也? 統營形勢, 若至難支之境, 則自朝家, 宜念別般救弊之道。就其山郡邑還穀多處, 有所區劃, 至於立本, 則決不可許矣。


  ?曰, 貿穀之弊害, 及小民, 有不可勝言。前此防禁於他道, 而今何可獨許於統營乎? 好仁曰, 立本則防塞, 而從他區劃, 則好矣。華鎭曰, 臣待罪嶺藩時, 習知其弊矣。嶺南米價, 比諸湖南, 每致騰踊, 而年年取其湖南穀發賣之錢, 分定於嶺沿各邑, 春而勒授, 秋而準納, 奸吏之濫捧, 小民之呼?, 莫不由斯。臣意則申飭統帥, 以錢散給之時, ?勿勒授, 只許願受者, 則事甚便好矣。彦鎬曰, 利害當否, 非所臆料, 而若以立本爲弊, 一切防塞, 則他弊之復生, 誠甚可慮矣。國賢曰, 各邑餉穀, 年年有未捧之弊, 故將士支放之需, 每患見縮, 不得不以嶺沿之穀, 先爲取用, 以兩湖耗條, 作錢充代者, 良以此也, 究其弊源, 實由於未捧矣。上曰, 統營料?, 近來更不加出乎? 國榮曰, 臣於己丑, 待罪統營, 而聞其後無加出之事云矣。浩修曰, 統營還上, 若自朝家, 別般申飭, 盡數捧給, 則弊源可塞矣。衍祥曰, 統營支放之需, 爲累萬餘石, 而如欲杜立本之弊, 則以他財力區劃, 爲好矣。國榮曰, 臣於統營事, 未有講究, 而大?立本防塞之議, 卽是大經大法。臣意則如前以湖南穀船運取用, 使之年年相當, 則好矣。民始曰, 申飭穀簿, ?無未捧之弊爲好, 而今若防塞立本, 他無措劃, 則統營必將難支矣。普行曰, 凡弊源, 遠溯然後知其爲弊之端, 而臣於此事, 全然茫昧, 實無可否間指陳之見。然若遽然禁其錢還, 而統營又目前難支, 則將何以爲計乎? 上曰, 昨年統營立本之穀, 爲幾石耶? 尙喆曰, 嶺南則爲二萬四千五百石零, 湖南則爲一萬二千八百石零矣。上曰, 湖南穀作錢取用之規, 創自何時乎? 尙喆曰, 甲戌年, 因湖南釐正使李成中筵奏, 以船運有弊, 作錢取用, 爲定式矣。上曰, 統營將士支放之不足, 雖甚可悶, 而錢還一款, 自朝家, 決不可許施矣。上顧國賢曰, 統營見在之穀數, 比卿爲統帥時, 更無減縮之事乎? 國賢曰, 己丑年爲二十四萬餘石, 而今爲十八萬五千餘石, 其爲減縮, 多矣。上曰, 所謂餉穀, 每年未捧, 故如是減縮, 何以則有準數善捧之道耶? 命善曰, 此則責在守令矣。上曰, 居末守令, 施以禁錮決杖之律, 則豈有難捧之理乎? 爲守令者, 善納於監營, 不善納於統營, 故統穀有此減縮矣。尙喆曰, 統營以三道中居末守令, 每於歲末報來, 而如有停捧之令, 則居末者, 自在勿施中矣。上曰, 欲爲統營之民, 則將士必有怨矣, 欲爲將士之地, 則統民必將呼?, 於斯二者, 屬之一邊之外, 無他道矣。弘淳曰, 令統營, 自爲沿革之地則, 可也, 而錢還一款, 不可自朝廷許施矣。上曰, 生穀之道甚難, 而還錢則姑置之, 無妨矣。樂純曰, 國家恃藩?, 藩?恃國家, 上下相恃之道, 宜若無間, 然而外方事, 朝家何可盡知乎? 雖以西藩言之, 各邑之報狀, 有難盡信, 則營門之狀啓, 亦何可信也? 臣意則統營之給代, 出自何時, 立本創自何年, 將士幾人, 放料幾石, 此等事例, 逐條論列之意, 發關知委, 待其報來, 徐究好道理, 恐似得宜矣。上曰, 救弊之道, 善捧穀爲根本矣。僉曰, 然矣。上曰, 嶺營及統營, 年年所縮穀數之相敵與否, 何如? 尙喆曰, 未能詳知矣。上曰, 自朝廷, 有振刷之政, 然後可以救弊矣。己丑以後, 營穀則幾包見縮, 統穀則幾包見縮, 守禦使出去書入, 而近來以居末守令之解由拘?者, 爲幾人, 亦爲知入。樂性承命出, 持統穀抄出記還入, 讀奏曰, 己丑年統營穀二十四萬二千二百七石內, 會外二十萬八千五石, 會付三萬四千二百二石。庚寅年二十四萬二千七百五十九石內, 會外二十萬八千三百八十九石, 會付三萬四千三百七十石。辛卯年二十五萬五千七百二十三石內, 會外二十一萬九千三百八十四石, 會付三萬六千三百三十九石。壬辰年二十四萬五千八百二十四石內, 會外二十萬九千四百二十八石, 會付三萬六千三百九十六石。癸巳年二十四萬八千二百十八石內, 會外二十一萬九百八十二石, 會付三萬七千二百三十六石。甲午年二十一萬六千一百三十六石內, 會外十八萬七百七十七石, 會付三萬五千三百五十九石。乙未年十九萬五千八百七石內, 會外十六萬二千七十九石, 會付三萬三千七百二十八石。丙申年二十一萬六千九百六十六石內, 會外十八萬一千六百四十四石, 會付三萬五千三百二十二石。丁酉年二十三萬三千八百三十七石內, 會外十九萬七千一百二十石, 會付三萬六千七百十七石。戊戌年二十四萬二千一百三十三石內, 會外二十萬五千五百六十八石, 會付三萬六千五百六十五石矣。

  上曰, 統營支放, 以會外穀用之乎? 樂性曰, 果以會外用之, 而會內穀, 卽封不動矣。上曰, 營穀則何不知入乎? 樂性曰, 營穀, 則非備局所管, 故無可考之文蹟矣。上曰, 監營則無會內穀乎? 樂性曰, 無矣。上曰, 營穀則後日, 更爲知奏, 可也。尙喆曰, 頃以全羅左水營戰船三隻失火事, 前水使權拭, 旣因特敎, 拿問定罪, 則其時不能愼火人及船將․監色各人等, 亦不可無罪, 令道臣, 分付該水使, 從重勘處, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 赴燕學敎授, 竝改差, 以在京無故人, 卽爲差出事。榻前定奪 尙喆曰, 歲色漸暮, 學敎授之赴燕人, 竝姑改差, 卽爲出代, 未行學製, 使之擧行, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 魂殿忠義, 向日之政, 聞皆區處, 而只有元陵忠義一人, 無相當?, 尙未擧論云, 似不可?過。今年探花郞, 方在直長, 已滿朔數云, 先爲出六後, 忠義承傳者, 以其?代差, 似得宜, 以此分付銓曹, 何如? 上曰, 依爲之。普行曰, 臣以還上穀簿事, 今因言端, 敢此仰達矣。還上穀簿中, 各項名色, 旣甚繁多, 文書規例, 極其淆雜, 見輒眩亂, 莫知端緖之故, 爲官長者, 不能照檢鉤考, 而一委於吏輩之手, 許多奸弊, 皆由於此, 一番釐正, 在所不已。自廟堂, 消詳商確, 裁定規例, 毋論京外, 通同釐正。凡各其衙門所管穀簿中, 許多不緊名色之可以減削者, 一倂減削, 只以各穀本名, 排類合錄, 使得一見瞭然, ?無淆雜眩亂之弊, 似好矣。上曰, 依爲之。國榮曰, 近因收租之漸縮, 貢等每患難繼, 惠廳事, 誠可悶矣。且戊午以後, 戶曹貸去, 殆無限節, 本廳不勝支當, 始自庚辰, 歲送九千石, 至于今通計爲五十五萬石, 本廳之苟艱, 亦豈不由於此乎? 庚辰定數之時, 廳儲尙裕, 故特以共濟之意, 不得已施行, 而卽今本廳貢價, 新捧前不足, 殆近二萬石。他無拮据之道, 則戶曹移送, 實是行不得之事, 庚辰作米, 自今勿送, 以爲本廳支保之地, 而戶曹形勢, 亦不可不念。今番則以錢代送, 米則勿送之意, 永爲定式事, 下詢大臣處之, 何如? 上曰, 大臣之意, 何如? 尙喆曰, 惠廳庚辰作米之逐年移送於地部, 實出共濟之意, 而目下度支經費, 雖極可悶, 本廳支放, 若是不足, 該堂所奏, 亦不得已也, 勢不可不許施矣。命善曰, 庚辰移送, 乃是米儲有裕時事也, 本廳貢價, 今旣不足, 則度支需用何暇念及乎? 以錢代送, 亦出共濟意矣。弘淳曰, 度支經用之罔措, 固不可不念, 而惠廳貢價, 旣無繼給之道, 則眞所謂我躬不閱, 其不能念及於度支, 事勢固然, 恐當許施矣。上曰, 依爲之。允鈺曰, 今聞惠堂所奏, 惠廳事, 誠可悶, 而以戶曹言之, 則二十年來, 賴以支過者, 專在於此米。今若見失, 則前頭事, 實爲萬萬罔措, 而以目下言之, 昨年收祖, 不過爲九萬六千石。又値閏朔, 十三朔所用, 無路支繼。一朔諸般應下, 殆近萬石, 新捧前, 計朔磨鍊, 則卽今不足爲一萬七千餘石, 貢價應下外, 別營放料, 軍監散料, 將自正月見縮, 而料米必以精實穀分給矣, 其所代充者, 歷數諸處, 無可下手。臣意則南漢米一萬石, 摠廳米七千石, 若得區劃, 則南漢米, 給貢價, 北漢米與惠廳, 相議區處, 繼給軍料, 似好, 下詢大臣處之, 何如? 上曰, 大臣之意, 何如? 尙喆曰, 庚辰作米, 旣未取用, 他處穀物, 亦無推移之路, 南漢米姑先依所請許貸, 勿論貢價與放料, 從便支放, 勢不可已矣。命善曰, 經費旣如是難繼, 則其所推移, 勢不可已, 首相所奏, 似好矣。弘淳曰, 目下事勢如是, 區處之外, 恐無他好樣道理矣。上曰, 依爲之。樂純曰, 今朔爲始, 當爲儲?, 而郡守以上?, 京職中可擬之人, 每患苟艱。雖非啓請邑, 限都政前, 以限滿守令勿拘純望, 通融備擬, 以爲次次遷轉之地, 而雖値口傳政事時, 亦爲一體擧行, 已成近例, 今亦依此爲之乎? 上曰, 依爲之。樂純曰, 臣適待罪於銓曹, 有所愚見, 敢此仰達矣。夫振發淹滯, 乃是居銓者之責, 而挽近以來, 科甲頻出, 仕路漸窄, 文臣之抱紅牌而老於?下者, 指不勝屈。苟求疏滯之道, 則莫先於此, 而以臣曹所在官案見之, 其死生故?, 年久未修, 不可憑信。令諸道道臣, 申飭守令, 某邑之某人, 某人之某年某科及見今有?與否, 詳細修正, ?大政前上送臣曹, 以爲相考收用之地。且雖非侍從文官之存沒, 銓曹不可不知。此後則在鄕文官之身故者, 每於歲末, 自監營, 修報本曹之意, 申飭各道, 何如?

  上曰, 依爲之。已上出擧條 尙喆曰, 頃因持平沈豊之所懷, 以戶曹宣惠廳査定及軍門定例事, 有稟處之命矣。回啓一節, 何以爲之乎? 上曰, 用其言則好矣, 何必回啓? 仍命惠堂進前, 國榮進伏。上曰, 以近日所抄出觀之, 加定之査櫛, 有不可已矣。生穀之數, 用穀之處, 何以則可得詳知歟? 國榮曰, 元貢․別貿外, 皆有用下處, 所謂加出加定, 爲近四萬石矣。上曰, 戶曹惠廳査定事, 任誰爲之, 則好耶? 尙喆曰, 本曹本廳, 各有堂上, 堂上親執査定之外, 恐無他道矣。國榮曰, 右相曾經有司堂上, 相議爲之, 則好矣。上曰, 右相則予恃之矣。登極以後, 本廳加定, 何不抄出乎? 予甚慨然也。弘淳曰, 非不欲抄出, 而抄出之後, 若多不緊之名色, 則將何以爲之乎? 以是未果抄出矣。上曰, 軍門定例, 何以爲之, 則好耶? 國榮曰, 軍門則有難遽然作例, 惟有擇將而任之而已矣。上曰, 各陳所見, 可也。善復曰, 都監則應下之數不多, 而所謂加出如軍物新造, 或修改等事, 而至於新營, 則生殖以用名曰別下, 若欲定例, 則不難爲之矣。上曰, 予意則五營門財穀, 合而計用, 則文簿不煩, 而一年出入之數, 可以詳知矣。命善曰, 此則事係大更張, 不可遽議, 而臣意則姑先革罷策應所, 好矣。上曰, 監司․守令之用耗穀, 乃是朝家所知, 而至於大將所用, 則本非朝家之所許。在大將非但爲名色之不正, 國之財用, 亦將因此而爲尾閭之洩, 可勝寒心。向者臺言, 旣如此, 則軍門事, 殆同未了案, 爲大將者, 姑不可取用於策應所矣。僉曰, 然矣。國榮曰, 臣意則各營門凡干上下之文書, 亦使都提調, 一體照檢, 則爲大將者, 其在忌憚之道, 庶無擅犯濫用之習, 而軍門貌樣, 亦當必勝於前矣。尙喆曰, 都提調之照檢文書, 旣是無前之例, 今豈可創出乎? 上曰, 近來軍門郞廳, 其能頻數開坐, 細檢文書乎? 命善曰, 餉色郞廳, 則間或開坐, 而軍色郞廳, 則無開坐之事矣。上曰, 此後申飭軍門郞廳, 使之連爲開坐, 細檢出納之數, 可也。允鈺曰, 本曹經費苟艱之中, 不緊貢價上下之數, 亦甚?然, 此爲可悶矣。弘淳曰, 雖以司宰監貢物言之, 進排物種, 元不大段, 而貢人之所受貢價, 其利甚多, 此等貢物, 雖涉不緊, 而聞貢人輩, 謂有革罷之議, 不無搔擾之端云, 亦甚難處矣。上曰, 此貢, 魚鱗所付乎? 弘淳曰, 然矣。上曰, 月前戶曹草記, 以大口魚一尾價代錢五分式, 輸送兩宮爲稟者, 極爲非矣。如是爲言, 則貢人輩之稱?, 何足怪乎? 命善曰, 貢人之物種, 若不取用, 則不給貢價, 可也, 而旣有物種, 則以錢代送, 豈無貢人輩稱?乎? 上曰, 生獐貢物, 年前曾已裁減矣。裁減則一也, 豈可爲苟且之事, 以致其呼?乎? 僉曰, 然矣。上曰, 如無內入名色則已, 旣有內入, 則貢人物種之代錢輸送, 豈可成說乎? 其所草記, 未免自朝廷先失其道, 今則有好道理, 若令依前減罷其供上物種, 而亦勿代給, 則可謂名正言順, 而雖貢人輩, 豈有稱?之辭乎? 尙喆等曰, 聖敎, 誠好矣。國榮曰, 宿衛所?後軍及禁營槍劍軍六十名, 加出料?事, 何以爲之乎? 上曰, 與諸將臣, 相議善處, 可也。上顧善復等曰, 宿衛所事, 誠可悶矣。近來號令不行, 名實不符, 如是而爲緩急可仗乎? 宿衛之任, 旣非專屬於禁營, 則各軍門, 何不念分勞共濟之道乎? 諸將臣出去, 與禁將商確好道理, 宜矣。仍命國榮先退。上曰, 臺臣則出去臺廳, 傳啓, 可也。命書傳敎曰, 政官牌招開政。上曰, 在外玉堂, 違牌玉堂, 改差, 今日政差出。出榻敎 命退, 諸臣以次出。(www.history.go.kr 2009)

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  권도 [記事] : 승정원일기/ 정조 2년 12월 20일 (병자) 원본1432책/탈초본79책 (23/24) 1778년 乾隆(淸/高宗) 43년/ ○ 戊戌十二月二十日巳時, 上御熙政堂。大臣․備局堂上引見入侍時, 領議政金尙喆, 左議政徐命善, 刑曹判書具善復, 戶曹判書具允鈺, 左參贊洪樂性, 兵曹判書李徽之, 吏曹判書洪樂純, 工曹判書權導, 副司直金孝大, 行副司直鄭好仁, 禮曹判書金華鎭, 訓鍊都正李國賢, 吏曹參判徐浩修, 大司成李衍祥, 行都承旨洪國榮, 行左承旨鄭民始, 同知中樞府事李普行, 副司直柳戇, 持平李?, 獻納南鶴聞, 校理金憙, 正言李殷模․趙鼎鎭, 記事官柳孟養, 事變假注書朴師黙, 記事官徐龍輔․李信祜, 以次進伏訖。尙喆等曰, 近日聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。王大妃殿, 氣候, 何如? 上曰, 入冬以後, 氣候長時未寧矣。惠慶宮氣候, 何如? 上曰, 哀毁之餘, 氣候大有損傷, 焦悶何言? 尙喆曰, 日暖如此, 非但時氣之失節, 莫重藏氷, 尙未爲之, 而昨見備忘下者, 反躬自責之敎, 縷縷懇惻, 凡在瞻聆, 孰不欽仰? 而時令乖常, 此皆臣等之罪也。上曰, 咎在否德, 何有於卿等也? 尙喆等曰, 以殿最不審之事, 臣等頃已陳箚, 而極甚惶悚矣。上曰, 此非卿等所可替引者, 何必復提? 尙喆曰, 喬桐水使, 以實病呈狀, 至於屢次, 故一向相持, 俱妨公私, 不得已仰請遞改矣。及承仍任之命, 臣之率爾請遞, 已極惶悚, 而聖敎誠爲至當矣。上曰, 成績未著, 而數遞可悶, 故特爲仍任矣。尙喆曰, 儒賢造朝, 法講夜對, 次第行之, 必多裨益於聖學, 而中外之想望, 亦可副矣。況以先正之孫, 其赴召, 又與先正造朝之年相符, 事非偶然矣。上曰, 虛?之餘, 幡然而來, 予甚欣喜, 而屢接講筵, 造詣固不淺, 而眞是厚德君子矣。命善曰, 臣亦往訪, 見其人而聽其言, 則果然有學力矣。尙喆曰, 此咸鏡監司趙?狀啓也, 備陳鏡城等尤甚邑, 不可不設賑之狀, 仍以爲本道昨年賑穀一萬八千石中, 折米限一萬石許劃, 私賑及貢米, 依前參酌許劃, 監兵營及設賑各邑月課米, 竝許停減, 空名帖一千張成送, 尤甚邑, 明年分?, 實無繼巡之望, 還穀有裕邑, 次次推移, 移運六鎭各邑交濟久置中, 量宜移運, 繼巡還分事, 令廟堂, 稟旨分付矣。北關民事, 聞甚可悶, 道臣所請, 亦有斟量, 賑穀一萬石之劃給, 空名帖一千張之成送, 監兵營及設賑邑月課米之停退, 道內還穀之移轉交濟久置中, 量宜移運事, 竝依許施, 而旣與丙申賑政有異, 私賑及貢米, 今姑置之, 前頭賑穀, 如或不足, 待其更爲狀聞區劃, 亦未晩, 以此分付, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 此北兵使李明運狀啓也。明春行營屬軍兵合操及茂山以北各衛軍兵巡操, 依定式擧行事, 令廟堂稟旨分付矣。北關詰戎, 雖與他有異, 今春旣已行操, 且當??設賑之時, 民事不可不念, 明年春操, 姑爲停止, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 此江原監司李亨逵狀啓也。以爲鬱陵島搜討, 明年當爲擧行, 而嶺東諸邑, 今將設賑, 入島之時, 爲弊不些, 搜討一款, 令廟堂, 稟旨分付矣。搜討, 乃是三年一次擧行之事, 而此與軍兵操鍊之弊, 有異, 連次停退, 亦甚疎虞。明年則依例爲之之意, 分付, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 此慶尙監司李在簡狀啓也。以統制使李敬懋, 邊將殿最, 同議於臣營, 而其中薺浦萬戶李廷高之爲目, 不合於中考, 故改以下考以送矣。敬懋, 以迎送有弊, 改其目, 仍其中而封啓, 殿最何等嚴重, 而不使道臣與聞者, 大損體統, 亦關後弊, 李廷高, 以下考施行。統制使, 則事體自別, 不敢以循例論斷, 請令廟堂, 參量稟處爲辭矣。殿最封啓, 事體甚重, 則統帥旣與道臣同議之後, 不復往復, 只改其等第措語, 果是失體, 統制使李敬懋, 從重推考。薺浦萬戶李廷高之中考, 以下考施行, 雖以道臣言之, 統帥與他?, 事面有別, 則其所狀論, 終未妥當, 末端參量稟處之請, 有違常格, 慶尙監司李在簡, 亦爲從重推考, 何如? 上曰, 依爲之。已上竝出擧條 上曰, 嶺伯事, 誠爲未妥矣。統帥之不復往復, 雖是失體, 統帥與他?有別, 則以參量稟處狀請, 殊欠體例, 且以今番殿最觀之, 七十二州中下考絶稀, 許多守令, 必無擧皆善治之理, 而專事褒獎, 了無懲勵之意, 此豈委任之本意乎? 良可慨然。尙喆曰, 考績之法, 重且大矣。雖京司, 固當有激?之道, 而況守令之係生民休戚者乎? 今番殿最, 可謂不善擧行矣。

  上曰, 統營錢還事, 何以決定乎? 尙喆曰, 錢還一節, 終涉難處矣。今若許施, 則嶺南之民, 爲弊孔多。若一切防禁, 則統營實有難支之慮。頃日筵退後, 與諸備堂相議, 則終無良策, 實爲兩難矣。上曰, 更商後, 從速稟處, 可也。尙喆曰, 此前南兵使金永綬所懷也。其一, 南兵營沿海之邊, 有間路, 直抵安邊, 無所關隘, 摩天․咸關兩嶺之下, 積石爲壘, 斷其間路事也, 形便當否, 雖未能遙度, 凡係嶺?間路, 此是從前禁飭者, 分付帥臣, 詳審其形址, 使之狀聞後稟處, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 其一, 城津地勢, 爲北路關隘之要害處, 吉州防禦營, 依舊復設於城津事也。城津․吉州之互爲防禁, 非一非再, 關防利害, 雖未目覩, 國家大體, 銷刻可悶, 下詢處之, 何如? 上曰, 左相之意, 何如? 命善曰, 臣則曾見城津, 所處雖是要害, 地勢甚狹, 似難排置防營, 今旣移設於吉州, 恐不必續續變通矣。上曰, 將臣之意, 何如? 善復曰, 臣未見北道間路事與防營移設便否, 不可臆對矣。國賢曰, 防營之乍設乍移, 旣涉重難, 且其地形, 不合設營矣。國榮曰, 臣亦不見北道, 雖未知其形便, 而防禦設營, 事係重大, 似不可輕議矣。上曰, 置之, 可也。尙喆曰, 其一, 北關巡操時, 晝鍊夜操, 聞令?赴, 執戟登城, 頗有實效, 而至於南關, 初無守城之制, 依北關例擧行事也。守城之制, 宜無彼此之別, 而設施之難, 必有南北之異, 分付帥臣, 擧行便否, 論理狀聞後, 稟處, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 其一, 架山山城, 外險內夷, 實合守城之地, 設柒谷府於平地, 置監營中軍於城中, 器械餉穀, 量宜移儲事也。當設邑於山城, 必有意義, 則到今移邑, 恐難輕議, 置之, 何如? 上曰, 依爲之。尙喆曰, 其一慈母山城, 高峻絶險, 內則平夷, 爲關西山城之最, 別設履歷?, ?擇名武, 修治頹城, 軍需量宜分儲事也。此山城, 素稱本道好關防, 而旣是監營之主管者, 又有守臣之句檢, 則今不必別設履歷?, 下詢處之, 何如? 上曰, 曾經道臣, 各陳所見, 可也。允鈺曰, 慈母山城, 果是形勝之地, 而爲最於道內者也。巡營錢木, 旣有捧留, 近邑餉穀, 亦多儲峙, 而道臣主管其節制, 邑守各任其防守, 緩急得力, 自可無慮, 履歷?之創設與否, 恐無加損於守城之策矣。樂純曰, 此城專屬監營, 而七邑??及軍器, 皆是所管, 初無廢置之事, 則金永綬之所陳, 未知何據, 而疎虞與否, 無足爲慮矣。上曰, 然則置之, 可也。尙喆曰, 其一雲峰形地, 前抵南原, 後接咸陽, 爲湖嶺之要衝, 設爲防禦事也。此縣果是湖嶺要衝, 所以兼營將之任, 管轄嶺底諸邑者, 當初設置, 意實有在, 而以至殘之小邑, 何能責防營之重務乎? 事係官制, 下詢處之, 何如? 上曰, 將臣之意, 何如? 善復曰, 臣則雖未見形便, 自古素稱賊路要衝之地, 旣置兼營將, 且地狹民小, 更設防禦, 似難輕議矣。國賢曰, 臣熟知其形便, 卽是賊路之要衝, 防營設立之議, 從前有之矣。國榮曰, 臣不知其形便, 而從前雖有此議, ?未創設者, 蓋緣邑力之至殘也。苟欲固其關防, 勢必割其隣壤, 合力竝守, 此豈輕易可議之事乎? 上曰, 曾經道臣, 亦陳所見, 可也。樂性曰, 雲峰果是湖嶺要衝之地, 而邑居山上, 地勢狹隘, 且邑力至殘, 設置防營, 恐難輕議矣。浩修曰, 雲峯固是湖嶺要衝之處, 而地孤絶, 早霜善?, 民居不多, 邑力至殘, 有難設置營門, 故從前亦多此言而?未決, 今不可輕易議到矣。普行曰, 臣則以其邑力之至殘, 不得入見於巡路, 雖未知形便之如何, 而第聞邑在山上, 形地狹隘, 實非設營之處云矣。尙喆曰, 諸議皆如此, 置之, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 尙喆曰, 判府事徐命膺所撰先朝行狀, 臣等伏見, 則大體果好矣。其中字句間, 或不無未盡處, 莫重文字, 固當審愼矣。館閣諸臣輪示, 如有所見, 更爲釐正後入刻好矣。上曰, 卿言是矣。命館閣諸堂進前。李徽之․洪樂純․洪國榮進前。上曰, 大臣言好矣。卿等齊會詳見, 或有釐正處, 相議爲之, 可也。徽之等曰, 臣等豈有所見, 而旣承聖敎, 當一番奉覽矣。上命書傳敎曰, 列聖誌狀印役, 卽爲擧行, 仍令本閣兼官, 眼同監印。

  上曰, 今日欲下停捧令, 毋或不早乎? 尙喆曰, 臣意則頗早矣。國榮曰, 當此災歲, 停捧不可少遲, 且歲除只餘一旬, 今日下敎好矣。上曰, 今則不可謂太早矣。仍命書傳敎曰, 歲聿云, 暮民窮轉甚, 停?雖成年年應行之事, 而亦屬恤窮之一端, 諸道當年新還未捧者, 許令停退事, 令備局三懸鈴, 卽爲行會諸道兩都。上謂命善曰, 本寺正, 旣是兼內乘, 故與武內乘, 輪回入直於內寺, 卽例也, 而時任正李亨元, 近十餘日不爲入直, 連以武內乘爲省記, 極甚怪訝。命善曰, 今方呈旬, 故不爲入直云矣。上曰, 申飭入番, 可也。善復曰, 成均館西泮村, 方出殺獄, 而北道文官學諭朱宗勳, 一夜之間, 爲人被打致死, 事近盜賊, 而正犯, 方自臣曹, 定刑吏探得, 而亦令左右捕廳, 各別譏?, 期於捉得, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 徽之曰, 部將洪留浩, 今都政仕滿陞六, 而本?, 乃是南行, 而閑良內禁衛, 滿六朔者, 不過二人, 限滿間, 姑爲儲?, 何如? 上曰, 依爲之。徽之曰, 南行宣傳官一?, 未差之代, 一體儲?, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 上曰, 都政以何日將爲之乎? 樂純曰, 將以二十六日取稟矣。命善曰, 聞內乘吳載光議處, 以奪告身照律云, 本事所係, 不輕而重, 則擬律終涉太歇, 原公事勿施, 其令更爲議啓, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 徽之曰, 前同仁權管安舜命, 去六月仕滿, 而其時殿最, 施以中考, 故用以當都目勿敍右職之例, 未得陞六, 箇滿本職則出代, 而前有過十朔後出六區處之例, 今亦依此施行, 何如? 上曰, 此非難知之事, 居中則陳一都政, 元無京外職之別, 且以卿之所經者言之, 奈之何守法於宣傳官林泰遠, 而輕先出代於未準限之權管乎? 難免不審之失, 卿則推考, 安舜命則旣非渠罪, 特爲陞六, 此後仕滿居中者, 毋得出代, 申明舊典爲之, 可也。出擧條 徽之曰, 各道兵虞候, 階是三品, 責任亦重, 而每以疲殘之人差送, 故人皆厭避, 間多有不赴之弊, 此後則, 時任四品守令中, 以二十五六朔爲限者, 通融備擬, 以爲振刷疏通似好, 故敢此仰達矣。上曰, 依爲之。出擧條 樂純曰, 惠陵參奉趙德洵, 敎官時, 仕滿, 都政當爲出六矣, 今則相換爲參奉, 法不當直出六品, 而旣已仕滿之人, 亦不可不爲陞六, 何以爲之乎? 上曰, 陞六, 可也。出擧條 徽之曰, 平薪僉使許圭, 前以古今島僉使, 因特敎相換矣。通計前仕, 則來二月爲三十朔箇滿, 此則, 何以爲之乎? 上曰, 以移職仕計之, 可也。出擧條 尙喆曰, 漢城判尹蔡濟恭, 旣已仍任前職, 備局堂上, 亦爲還差, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 ?․鶴聞․憙․殷模․鼎鎭曰, 請?寢鄭致達妻減死安置之命, 快正王法, 以洩神人之憤。上曰, 不允。請還寢遠竄罪人韓翼?金吾草記勿施之命, 仍施遠竄之典。上曰, 不允。請放歸田里罪人金相福, 爲先極邊遠竄。上曰, 不允。請黑山島定配罪人龜柱, ?加嚴鞫, 快正王法。措辭竝見上 上曰, 不允。?․鶴聞․殷模․鼎鎭曰, 請濟州牧移配罪人敬彬, 熊川縣定配罪人成運, ?令王府, 更爲設鞫得情。上曰, 不允。請彦衡․養遂․獻遂竝令王府, 設鞫嚴問。上曰, 不允。請還寢會遂絶島定配之命, 仍令王府, 設鞫得情。上曰, 不允。請還寢李觀源定配之命, 更令王府, 設鞫得情。上曰, 不允。請遲晩後物故罪人啓能, ?施?籍之典。上曰, 不允。請令王府, 一依古典, 趾賊等凶種之年未滿者, 待其稍長, 卽施邦刑, ?絶凶逆易種養禍之患。上曰, 不允。請物故罪人志恒之支屬應坐者, 絶島散配。措辭竝見上 上曰, 不允。?曰, 請大靜縣爲奴罪人金壽賢, 依律處斷。上曰, 不允。請興陽縣爲奴罪人河翼龍, 南海縣爲奴罪人金重得, ?令王府, 設鞫得情, 快正王法。上曰, 不允。請梁山郡定配罪人錫達, 依律處斷。上曰, 不允。請削出罪人金漢耆, ?施竄配之典。上曰, 不允。請海南縣竄配罪人金載順, ?令王府, 設鞫嚴問。上曰, 不允。請三水府定配罪人洪達洙, ?令王府, 更加嚴鞫, 依律處斷。上曰, 不允。請長?縣遠竄罪人聖中, ?令王府, 設鞫嚴問, 期於得情, 快正王法。上曰, 不允。請削版罪人有臣․宗甲․義駿, 竝令王府, 設鞫嚴問, 依律處斷。上曰, 不允。請鍾城府定配罪人趙濟泰, 海南縣定配罪人李潤成, 更令王府, 設鞫得情, 施以當律。上曰, 不允。請楸子島定配罪人趙?, ?寢酌處之命, 仍令王府, 設鞫得情, 快正王法。

  上曰, 不允。請旌義縣減死安置罪人興老, ?寢酌處之命, 仍令王府, 設鞫得情, 快正王法。上曰, 不允。請薪智島?棘罪人瑩中, 設鞫嚴問, 快施當律。上曰, 不允。請濟州牧定配罪人後樂, ?令王府, 更加嚴鞫, 期於得情。上曰, 不允。請慶源府定配罪人鳴遠, 依律處斷。上曰, 不允。請物故罪人德泰支屬應坐者, 一一査出, 絶島散配。上曰, 不允。請三水府定配罪人孫效忠, 泗川縣定配罪人柳仁培, 放逐本鄕罪人李鳳昌․沈德一․李德成, 罪人申世輝․蔡伯周․盧聖翊, 仍令王府, 更加嚴鞫, 期於得情。措辭竝見上 南鶴聞․李殷模․趙鼎鎭曰, 請大靜縣爲奴罪人金壽賢, 更令王府, 設鞫嚴問, 依律處斷。上曰, 不允。請爲奴罪人河翼龍․金重得, ?命王府, 設鞫得情, 快正王法。上曰, 不允。請海南縣定配罪人李弘濟, ?令王府, 設鞫嚴問。上曰, 不允。請海南縣竄配罪人金載順, ?令王府, 設鞫嚴問, 上曰, 不允。請遠竄罪人聖中, 放逐罪人有臣․宗甲․義駿等, 竝令王府, 設鞫嚴問, 期於得情, 快正王法。上曰, 不允。請還寢福氷酌處之命, 依律處斷。上曰, 不允。請海美縣定配罪人申光復, 更令王府, 嚴鞫得情, 快正王法。上曰, 不允。請金甲島爲奴罪人克觀, 古今島爲奴罪人克泰, 泗川縣定配罪人萬赫, 更令王府, 嚴鞫得情, 快正王法。上曰, 不允。請定配罪人具翼遠, ?寢酌處之命, 仍令王府, 嚴鞫得情, 快施當律。上曰, 不允。請減死安置罪人大燮, ?寢酌處之命, 仍令王府, 設鞫得情, 快正王法。上曰, 不允。請減死罪人弼海, ?寢酌處之命, 仍令王府, 設鞫得情, 快正王法。上曰, 不允。請遠竄罪人安兼濟․李宅鎭, ?命王府, 竝加嚴鞫, 期於得情, 依律處斷。上曰, 不允。請恒․善支屬, ?命散配, 日謙兄弟, 竝投絶島, 以嚴?防。上曰, 不允。請?棘罪人瑩中, ?令王府, 設鞫嚴問, 快施當律。上曰, 不允。請?收放逐罪人鄭遠達, 珍島郡定配罪人閔百奮放釋之命。上曰, 不允。請固城縣投?罪人李鎭常, 巨濟府絶島安置罪人朴宗集, ?令王府, 拿鞫得情, 施以當律。上曰, 不允。請河東府減死定配罪人昌鼎, 依律處斷。上曰, 不允。請濟州牧減死定配罪人範聖, 依律處斷。上曰, 不允。請物故罪人德泰支屬之應坐者, 一竝詳査, 絶島散配。上曰, 不允。請漆原縣定配罪人志遜, 更令王府, 設鞫嚴問, 期於得情。上曰, 不允。請減死定配罪人德秀, ?令王府, 更加嚴鞫, 快正王法。上曰, 不允。請削黜罪人鄭履煥, 絶島安置。上曰, 不允。措辭竝見上 鶴聞等曰, 新除授大司諫申思運, 時在平安道楚山府任所, 請斯速乘馹上來事, 下諭。上曰, 依啓。命退去, 諸臣以次出。(www.history.go.kr 2009)

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  권도 [記事] : 승정원일기/ 정조 3년 4월 15일 (기사) 원본1439책/탈초본79책 (16/17) 1779년 乾隆(淸/高宗) 44년/ ○ 己亥四月十五日卯時, 上御熙政堂。大臣․備局堂上, 引見入侍時, 領議政金尙喆, 左議政徐命善, 行司直具允鈺․洪樂性․李重祜, 行兵曹判書李徽之, 刑曹判書尹東暹, 吏曹判書鄭尙淳, 江華留守洪樂純, 右參贊權導, 禮曹判書鄭光漢, 戶曹判書金華鎭, 訓鍊都正李敬懋, 行副司直李衍祥, 行左承旨鄭民始, 行副司直李普行, 漢城右尹李性源, 大司憲鄭昌順, 大司諫金文淳, 司諫李恒祚, 獻納李枰, 正言尹行元, 校理鄭淵淳, 副修撰金宇鎭, 行右承旨李義翊, 假注書徐鼎修, 事變假注書宋文述, 記事官徐龍輔․鄭東浚, 以次進伏訖。尙喆曰, 勞動之餘, 聖體, 若何? 上曰, 一樣矣。王大妃殿氣候, 何如? 上曰, 一樣矣。惠慶宮氣候, 何如? 上曰, 一樣矣。尙喆曰, 獄情尙未得端緖, 誠可悶矣。命善曰, 昨日頗得可疑之端云矣。上曰, 今番獄事之後, 予心尤不勝憂懼矣。予雖?據是位, 而是位卽四百年莫重之位也。今日君綱國勢, 少有可恃, 則豈有此等凶惡絶悖之逆賊乎? 此雖異於稱兵犯闕, 而其陰凶情節, 槪與向年量․?․興․輝事, 同一心腸矣。豈忍以此等凶言, 萌之心發之口, 而筆之於書乎? 極爲凶惡矣。尙喆曰, 凶書中諸語, 極爲凶慘矣。尙喆曰, 判義禁以爲, 日前解枷之敎, 雖出於欽恤之德意, 而欲以此事, 有所仰達者矣。樂性曰, 大臣旣發言端, 臣當仰達矣。罪人解枷之敎, 實出德意, 孰不欽仰, 而第此旣重囚, 且與病幾死者有異, 則一向解枷, 亦屬可悶矣。上曰, 執法之官, 以此爭執, 事固然矣, 而日昨下敎, 亦有所商量而然矣。仍命書傳敎曰, 政官牌招開政。上曰, 吏․兵判先爲退去, 開政, 可也。尙淳․徽之, 承命先退。上曰, 備堂柳戇, 今番又不入來, 何也? 仍命書傳敎曰, 備局副提調柳戇, 近日次對, 連不進參, 事極未安, 從重推考。尙喆曰, 此平安監司金鍾秀狀啓也。備陳軍木那移庫錢消融之弊, 仍以爲自今以後, 一布一錢之互換移動者, 皆令上聞取裁, 違者論以重律。江界府蔘價米之引年發賣者, 一體嚴立科條, 永永禁斷事, 竝請令廟堂稟旨分付矣。本營留庫木錢從前幻弄之弊, 卽今徵捧之道, 道臣之啓, 已悉無餘, 而此後一布一錢之互換移動者, 皆令上聞取裁, 違者論以重律, 蔘價米之引年發賣者, 嚴立科條, 永永禁斷云者, 其所論請, 誠爲的確, 依此施行, 守而勿失, 懲前毖後, ?有實效之意, 各別嚴飭, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 尙喆曰, 此江華留守洪樂純, 論統禦營新設變通疏也。聖批中有條陳事宜, 允?予意, 下廟堂卽速稟處擧行之命矣。疏中其一, 喬桐所屬戰船二, 龜船一, 兵船四, 防船一, 各船皆有伺候船, 合爲十六, 統禦營今歸沁都, 則戰兵船, 事當三分一移屬, 而第喬桐爲沁都之門戶, 且各船能櫓諸色水卒, 皆在喬桐一島, 今不可猝然移定於沁都, 故但移戰船一․兵船一․伺候船各一, 其餘則依前留之於喬桐, 使臨急防禦之際, 庶爲專力收效之地云。其二, 統禦營之只有戰兵船二隻舟師, 雖似寡弱, 統禦所屬五鎭舟艦, 將近四十隻, 其中德浦․長峰․注文三鎭, 只隔一帆之便, 沁都舟師, 不患其寡云。其三, 戰艦旣移, 則船泊處不可不擇, 松亭有五利船倉, 則捨此莫可, 待變亭不必設, 而船上什物及軍器庫舍, 則本府庫舍, 久空頹毁者多, 以此移建, 亦足省費云。其四, 操場龍津, 在甲津之下, 稍似回抱, 其勢便易, 以此爲定云。其五, 船上將卒, 當用統禦營舊例, 而略加增?, 戰船船將一人, 兵船監官一人, 上粧哨官一人, 下粧哨官一人, 兵船哨官一人, 捕盜官三人, 舵工五名, 能櫓軍二十八名, 格軍九十六名, 射手四十八名, 砲手四十一名, 六物庫子一名, 各色匠人九名, 各哨書記認旗手伺候等軍十三名, 合二百四十九名, 充定於松亭浦村, 敎鍊官二人, 旗牌官十二人, 軍需監官一人, 營吏二人, 軍器色二人, 庫子二名, 軍糧色三人, 庫子三名, 軍牢四名, 巡令手六名, 燈籠手八名, 使令二名, 羅將四名, 中營軍牢二名, 巡令手四名, 都訓導二人, 敎師一人, 別破陣一人, 錚手․鼓手․??手․號銃手等四名, 合六十五名, 以府內所屬充定, 能格射砲手外, 皆有月料朔錢, 或多或少, 能格則減其身役, 射砲手亦設其施賞之?, 每朔較藝, 分三等付料, 以爲獎勵興起之地云。

  其六, 軍政之最難得者, 能格與射砲手, 名係浦人者, 歲納錢二兩, 又有官吏侵漁之苦, 今者?其錢除其苦, 但令係籍於能格案中, 每秋合操外, 乘潮漁採, 往來自如, 浦民産業稍優者, 不操舟入海, 或作耕稼, 或事弓矢, 或隷陸軍者, 逐月較藝施賞, 至於原定有料之?, 勿論浦人邑人, 惟恐或後, 所謂軍制, 可以粗立云。其七, 吹鼓手及旗手四十餘人, 不必別立名色, 鎭撫․統禦, 合爲一營, 當習操之時, 自可彼此互用云。其八, 統禦營一年句管諸道防番錢, 爲四千九百八十一兩, 穀則耗租爲四百石, 而喬桐旣爲防營, 則喬桐水軍防番錢及給糧錢, 合二千三百二十八兩, 仍置喬桐, 餘在錢二千六百五十二兩, 租四百石, 移屬統禦營, 軍卒吏隷月料朔錢, 浦人身役之代, 射砲勸賞之資, 皆區別支用, 而所餘亦且不少, 船上什物․軍器․旗幟等, 諸般物事, 皆從此出, 年終, 自本營修簿報廟堂, 成節目二件, 一則留之本府, 一則送于備局云。其九, 鎭撫使旣兼統禦使, 則鎭撫中軍, 亦當兼統禦中軍, 有事則往來接應, 不然則臨時別出一假將云。其十, 今當統禦之移設, 喬桐․永宗, 俱處輔車之地, 均有?角之勢, 自今爲始, 永宗罷其獨鎭之權, 而復屬統禦云。其十一, 有兵然後, 可以禦賊, 有食然後, 可以養兵, 本島所出穀, 從今以後, 勿論京人。邑人, 出島中穀十石以上者徒, 五十石以上者流, 濟物․月串․昇天各鎭將, 循私放過者, 其罪如出穀, 留守不能覺察者亦坐, 島中常留數三萬斛, 越三年, 夏秋觀年穀豊凶, 始許放出, 則不屯田不添餉, 而兵民之食自足云。其十二, 三南大同, 獨湖南稍優, 若分留一萬石於甲津倉, 明歲三四月, 使貢人外受, 年年如此, 則萬斛米長留於島上, 今若行外受之法, 足爲浦民聊生之業, 留米分米之際, 該色郞下去親檢, 則必無乾沒之患云。其十三, 草芝卽三南海路?口也, 一自兼牧之後, 僉使入處於兼牧衙中, 鎭舍則廢已久矣, 設置鎭將之意安在? ?破牧衙, 添造鎭舍, 使僉使來留信地, 收合鎭卒, 專意戰具云。其十四, 武學․束伍, 此原軍也, 壯旅․義旅, 是軍官也, 而束伍․武學者類, 竄身於壯․義兩旅藪中, 原軍日縮, 闕伍幾半, 臣意則兩旅中擇其好身手多?力者各三百人, 月朔以戰笠狹袖試射砲, 武學中亦別抄三百人, 許令較試赴賞, 則數年之後, 皆爲精兵, 在陸則爲陸軍, 在水則爲水軍, 九百精銳之士, 足可當一面, 而其朔賞之資, 則本府有別會錄米, 自今爲始, 令守臣每月朔割出十餘斛米, 以作勸武之賞云。其十五, 沁都難支之弊, 卽修城之役也, ?築頹毁之後, 改?以石, 一年所築, 限以三百步, 自甲子至今三十六年, 僅築其半, 計其卒築之期, 亦可費三十餘年, 今者城役, 如環無端, 民力常勞不逸, 臣意則自明年?罷修城之役, 自廣城至草芝二十餘里, 築以泥土, 務使完固, 上設女墻, 沿江上下列墩之間, 各限百步, 別築?樓云, 節目一通, 別具冊子, 敢此附進, 乞令廟堂, 參量指揮矣。今者守臣之十五條疏論, 極其詳密, 至有節目冊子之書上, 此在朝家, 旣非難從之事, 而誠得變通之宜, 不必逐段覆奏, 一依所請, 竝爲許施。其中湖南大同米一萬石, 每年輪置江都, 使貢人外受之論, 恐不無??難便之慮, 此則更爲消詳, 務得其當, 似好矣。上曰, 依爲之。出擧條 樂性曰, 保放諸囚中, 有時任守令, 而當此農務方殷之時, 一向保放, ?未勘律, 誠爲可悶矣。上曰, 邑務之淹滯, 實涉可悶, 保放人中, 時任守令還囚, 今日內捧供, 待判下, 仍卽以草記議處照律, 可也。出擧條 諸備堂奏事畢, 三司進前。上曰, 臺諫傳啓, 出去臺廳爲之, 可也。命次對, 諸臣先退。上曰, 召對爲之。出榻敎 命退, 諸臣以次退出。(www.history.go.kr 2009)






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최종수정일2019.02.12

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