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제목자랑2100:권사언副正字1
예천의 자랑(2100) : 예천 출신 권사언 승문원 권지부정자(1)
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권사언(權師彦) :
조선 영조 때, 예천 출신, 본관은 안동, 성(1736生, 進士)ㆍ급(伋, 1738生, 字 敬恩, 進士)의 아버지이다.
1756년(영조 32) 정시 문과(庭試文科)에 병과(丙科) 19위로 급제하였다. 승문원 권지부정자(權知副正字)를 지냈다.
(國朝榜目, 司馬榜目)
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권사언 [記事] : 한국사료 총서/ 청대일기 / 淸臺日記 下 / 丙子(1756, 英祖 32) / 十月, 小 / 初四日 / 聞市直錢百文, 租十斗, 太五斗, 米四斗, 粟七斗而火印斗給之云, 年凶可知, 與昨年冬一樣. 永川浣山居李君尙羽, 自京而至, 去二十八日庭試, 上親臨春塘臺, 出策題, 王若曰, 乾坤未判之前, 其體何如, 盤古之後, 果有三皇乎. 以邵子十二會計之, 今幾會乎. 諸生博古多識, 各盡其篇. 用八人, 皆出京中, 而權師彦 洪秀輔得參云. 壯元則鄭遠達, 故相臣羽良之子云. 李君八月上去居中學矣, 去月晦日, 設殿講, 而上不親臨, 大臣金尙魯受講, 渠逢周易艮卦, 得分, 故還歸矣.(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 3일 (정묘) 원본1137책/탈초본63책 (14/24) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 安兼濟有?, 代權師彦爲事變假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 3일 (정묘) 원본1137책/탈초본63책 (15/24) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 李翼元啓曰, 事變假注書權師彦, 時無職名, 令諺[該]曹依例付軍職, 冠帶常仕, 何如? 傳曰, 允。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 4일 (무진) 원본1137책/탈초본63책 (24/37) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 副司直申晦․李萬育, 副司果李福源․李廷喆․鄭翼濟, 副司正洪秀輔․權師彦。(www.history.go.kr 2009)
권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 5일 (기사) 원본1137책/탈초본63책 (15/38) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 事變假注書權師彦有?, 代以金應文爲假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 5일 (기사) 원본1137책/탈초본63책 (23/38) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 丙子十月初五日辰時。王世子坐時敏堂。大臣․備局堂上, 引接入對時, 領議政李天輔, 刑曹判書李宗白, 判尹閔百祥, 行司直鄭?述․申晦․李章吾․金致仁, 修撰李錫祥, 右副承旨具允明, 假注書洪秀輔, 事變假注書權師彦, 記事官沈?之, 記事官李鎭恒, 以次進伏訖。天輔曰, 日寒比甚, 氣候, 何如? 感冒之候, 加減, 何如? 令曰, 感氣一樣矣。天輔曰, 眼患, 何如? 令曰, 稍減矣。天輔曰, 大王大妃殿氣候, 何如? 令曰, 一樣矣。天輔曰, 大殿氣候, 何如? 令曰, 一樣矣。天輔曰, 中宮殿氣候, 何如? 令曰, 一樣矣。天輔曰, 今日爲嬪宮初七, 而羹飯連爲進御, 無他症候乎? 令曰, 別無他症矣。天輔曰, 以聲音聞之, 咳嗽頗苦劇矣。夜間寢睡, 以咳嗽不寧乎? 令曰, 不但咳嗽, 以感氣難堪矣。天輔曰, 頭痛之候, 何如? 令曰, 頭痛亦一樣矣。天輔曰, 誠悶迫矣。睿候如是未寧, 故今日亦不敢早入求對矣。天輔曰, 此卽黃海監司狀達也。道內今年穡事, 未得?熟, 秋操特令停寢, 則本營牙兵入防, 尤無可論, 而且是受還之民, 當此捧?之時, 屢朔赴防, 則無以督俸, 今冬牙兵入防, 姑令停止事, 請令廟堂, 稟處矣。諸道?經設賑, 故秋力操一體停止, 而牙兵入防, 則與?糧赴操有間。且本道則年事梢?, 戎政不可全廢, 依例入防之意, 分付何如, 令曰, 依爲之。出擧條 天輔曰今年賑廳設賑後, 流?之人, 皆還本土, 而其中幼穉無依者, 頃因右相陳達, 自賑廳各定主人, 資活事定奪申飭矣。近見乞兒之呼號於街巷者甚多, 若當極寒, 則必致凍死, 該廳之不善擧行, 不可無飭。該廳堂郞, 從重推考, 使之嚴飭各部, 一一領付, 以爲接濟, 何如? 百祥曰, 道逢流?, 問其付諸賑廳與否及受糧數爻, 則或有一次受食者, 或有初不受食者云。一次外, 更不得受食者, 賑廳給糧, 專不留着精神之致。初無一番受食者, 似因該部, 不卽領付賑廳之致。且聞部隷洞任, 替受賑糧, 不無中間消失之弊, 臣之適有所見, 而問之者如此, 不見不問處, 可推而知, 事極寒心, 當該部官, 査出, 申飭好矣。天輔曰, 重臣方帶判尹, 而且新差惠堂, 使之査出, 各部果是當部之不察, 則官員當有罪責矣。出擧條 晦曰, 分給之際, 專任部屬, 則乾糧之不得遍及於流?, 其勢固然, 此後則各別, 申飭於該廳該部, 一一直爲分給於流?, ?有實效宜矣。宗白曰, 部隷洞任, 若爲替受, 則流?接濟, 似無實效, 宜有, 申飭矣。致仁曰, 若如前冬之結幕饋粥, 則似有實效, 而此則太早, 亦涉張大, 令各部分授於該洞人家, 分給乾糧, 使之善爲救活則似勝矣。百祥曰, 前判尹韓翼?, 分排逢授, 而多有弊端, 如是然後, 各有歸宿, 而方可依接矣。然當初賑廳給糧, 旣無精神, 該郞爲先推考, 更加申飭, ?有實惠好矣。令曰, 依爲之。出擧條 天輔曰, 故監司黃璿, 以嶺南方伯, 當戊申逆亂, 指授方略, 討平諸賊, 奏捷未幾, 盡?而畢命, 大朝震悼, 命該曹及本道, 顧助喪葬, 依功臣例, 特爲贈職贈諡矣。其時未卜葬地, 只用權?, 今十月始爲永?於坡州云。黃璿死於王事, 而大朝旣有顧助喪葬之敎, 今於永?, 令本道各別顧助, 何如? 令曰, 依爲之。出擧條 允明曰, 昨日大朝特敎, 南漢留守韓翼?, 使之今日謝恩矣。今辭書到院, 而特敎之下, 不敢捧入, ?已退却矣。翼?於特敎之下, 不爲謝恩, 極爲未安, 推考, 使之肅謝, 何如? 令曰, 廣州留守韓翼?推考, 今日內使之肅謝,。出下令 諸臣以次退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 33년 2월 16일 (무인) 원본1141책/탈초본63책 (20/47) 1757년 乾隆(淸/高宗) 22년/ ○ 以權師彦爲假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 34년 4월 3일 (무오) 원본1155책/탈초본64책 (9/23) 1758년 乾隆(淸/高宗) 23년/ ○ 注書 李迪輔病, 代以權師彦爲假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 35년 2월 3일 (갑인) 원본1165책/탈초본65책 (9/19) 1759년 乾隆(淸/高宗) 24년/ ○ 孟儒龍改差, 代以權師彦爲事變假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 35년 4월 19일 (기사) 원본1167책/탈초본65책 (36/37) 1759년 乾隆(淸/高宗) 24년/ ○ 己卯四月十九日酉時, 明政殿月臺殿坐, 左右相․春秋館堂上入侍時, 監事金尙魯․申晩, 知春秋洪象漢․閔百祥, 同春秋吳遂采, 藝文提學黃景源, 右承旨南泰著, 假注書李一曾, 編修官洪敍箕, 記注官李勉進伏。金尙魯․申晩進曰, 臣等無狀, 致煩嚴敎, 罪死無惜, 揆以分義, 不敢冒入, 走伏金吾, 恭?嚴誅矣。聖敎寬大, 至有勿待命卽爲入侍之敎, 臣等固當竭蹶趨承, 而所被嚴敎, 固已萬萬惶蹙, 故猶不敢冒入矣。再次聖敎, 縷縷誨責諄諄, 臣等誠感泣無地矣。玆敢冒萬死入來, 而旣承此不忍聞之敎, 則亦何敢遽然承當此翰圈乎? 上曰, 國無不亡之勢, 而將自亡無他, 以無紀綱也。此非謂卿等有咎也, 故?陵以爲翰薦, 則必互代然後, 可也, 而予則以爲互代亦有弊, 遂以翰薦爲翰圈, 此予幾年苦心。使翰林若知此意, 則今番之圈, 豈如是乎? 如是而能事君乎? 朝鮮亡則已, 不亡之前, 豈可更通吏郞翰薦乎? 永祛掌通, 亦有意矣。今則昔之命於掌通者, 皆爲持正通, 如是而國爲國子[乎]? 今番使都堂會圈, 亦予苦心, 而若是遲滯, 予不能不爲卿等慨然矣。及聞承宣所奏, 始覺中官無狀之致, 卿等安心, 勿復引咎, 可也。尙魯曰, 臣等雖萬萬不似, 今此翰圈, 豈不知仰體聖意, 以自苟且退托於其間乎? 第以平日事君無狀, 不能見孚於君父, 致有此萬萬不忍聞之敎, 臣等之罪, 雖萬被誅戮, 實所甘心矣。上曰, 此則過矣。大抵知事雖作闕, 足可備員, 則行之, 可也, 而政院之稟旨差出, 亦不緊矣。晩曰, 其在立紀綱之道, 臣等固當被罪, 而至於今番下敎, 則實非臣子所敢聞者, 卽賜還受, 是臣等區區之望也。上曰, 今番下敎, 異於本事, 當還授矣。然一奉敎則非矣。初圈若善爲之, 則豈有如此之弊乎? 尙魯曰, 臣等見鄭昌順, 亦非有黨心者矣。上曰, 渠若懷黨心則, 尤何可用乎? 嶺南之人, 何必如剖瓜乎? 兄弟同圈, 亦何有嫌乎? 晩曰, 兄弟間取捨, 似涉苟且矣。尙魯曰, 翰圈雖如此, 堤防則不可不嚴矣。權師彦, 乃重經之孫, 而得一點, 此亦紀綱攸在也。上曰, 權重經誰也? 尙魯曰, 是權大運之子也。大運已非好人, 而至於其子重經, 則屢出逆招, 爲其孫者, 不可與平人同看, 而近來堤防漸壞, 循例擬望假官, 今又得一點, 其在嚴堤防之道, 不可不嚴飭矣。上曰, 昨日予以爲愛蠅混入矣。今聞卿言, 此則, 柳敍五亦難免矣。尙魯曰, 又有一人, 似不可爲者矣。上曰, 誰也? 尙魯曰, 鄭煥猷也。上曰, 鄭汝稷之根本, 予不知矣, 無乃與趙東漸同乎? 尙魯曰, 非爲此也, 當初則同矣, 今則已破脫久矣。第武將之子, 於此等處, 似重難矣。上曰, 此則不然, 然則李一曾何以爲翰圈乎? 晩曰, 李一曾則景春之姪也。尙魯曰, 聖意如此, 則豈敢拔之乎? 上曰, 權大運之後, 有仕於朝者乎? 尙魯曰, 無之。傳曰, 俄者下敎旣諭, 旣知中官之昏謬, 當初下敎爻周, 當該中官, 不可越俸而止, 令該府從重勘處。出傳敎 傳曰, 用人宜廣, 堤防宜嚴, 鄭履玉之一點, 權師彦之一點, 其涉無據, 其在嚴堤防之道, 不可罷職而止, 當該翰林, 施以罷職不敍之律, 因此而大臣所奏, 是矣。堂后擬望之人, 一體罷職不敍。出傳敎 傳曰, 雖大官, 旣非高蹈之士, 則處義不可若此, 以行步之艱?, 不能入侍, 朔望陪祭, 亦不進參, 其勢固然, 而練祥大祭, 其皆不參, 若樹紀綱, 宜先大官, 領敦寧趙載浩罷職。出傳敎 上曰, 假官望, 亦欲點下矣, 中官混下, 故未及爲之矣, 望單子, 還爲入之。上曰, 金普淳誰爲之乎? 泰著曰, 注書金載祿爲之矣。傳曰, 以翰圈觀之, 其習宜抑, 堂后假官望, 更爲點下, 以此擧行。出傳敎 上曰, 翰圈已停當乎? 尙魯曰, 此是重事, 故爲先招出其可合人, 然後作圈矣。上曰, 厥數幾何? 尙魯曰, 昨日則只十人矣。今番則爲二十五人矣。尙魯曰, 本圈則用紅圈, 而御前則用墨云矣。上曰, 必以墨圈爲嫌, 必以朱紅爲之, 可也。圈事訖, 尙魯曰, 圈事已訖, 臣等退出矣。上曰, 已訖乎? 退出可也。諸堂亦退出。傳曰, 旣行翰圈, 在外人, 令藝文館催促, 其令卽爲上來, 召試, 上來後, 政院稟旨擧行。出傳敎 臨退時, 上曰, 同副承旨與編次人入侍。出榻敎 遂退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 35년 윤6월 16일 (갑오) 원본1170책/탈초본65책 (29/30) 1759년 乾隆(淸/高宗) 24년/ ○ 己卯閏六月十六日辰時, 上御熙政堂。大臣․備局堂上引見入侍時, 領議政金尙魯, 左議政申晩, 知中樞府事李益炡, 判義禁李鼎輔, 左參贊李喆輔, 行司直洪鳳漢, 判敦寧李昌誼, 禮曹判書洪象漢, 行司直金聖應, 司直吳彦儒, 戶曹判書李益輔, 刑曹參判徐志修, 吏曹參判金致仁, 江華留守元景淳, 副護軍具善復, 司直崔鎭海․尹東度, 持平李鎭恒, 右副承旨李泰和, 記事官邊得讓, 事變假注書安寬濟, 記事官金普淳․李之晦, 以次進伏。尙魯曰, 日氣往而愈熱, 此時, 聖體若何? 上曰, 一樣矣。尙魯曰, 連用聖慮, 寢睡․水刺, 亦何如? 上曰, 症候平順, 故無用心, 而寢膳亦一樣矣。尙魯曰, 丸劑․湯劑, 亦連爲兼進乎? 上曰, 湯劑不進, 而瓊玉膏連進矣。尙魯曰, 中宮殿, 藥院旣直, 本院․朝廷問安, 亦以勿爲下敎, 臣民慶?, 而卽今症候, 更何如? 上曰, 大體?經, 而症候亦非可幸, 而今番又將有此賀, 亦意外矣。尙魯曰, 當此暑熱, 有此症候, 故深爲焦慮矣, 今至落痂, 不勝喜幸矣。寢睡․水刺, 亦安穩乎? 上曰, 如常矣。尙魯曰, 王世子氣候, 若何? 上曰, 一樣矣。尙魯曰, 王世孫氣候, 何如? 上曰, 好在矣。晩曰, 快復之後, 調攝之道, 尤加意爲之, 好矣。藥院亦退直, 下情亦悶矣。尙魯曰, 醫官則待令差備乎? 上曰, 待令矣。尙魯曰, 永春縣監李敬玉, 本縣舊還及軍額事, 上書小朝, 而係是民弊中大變通者, 不可循例覆達, 故敢此仰達。其書以爲, 乙亥以後, 會付未捧, 及以未捧爲已捧者, 摠爲五千八百六十餘石內, 三千六百七十餘石, 則合沒流亡指徵無處者也。二千一百八十餘石, 則雖曰時存, 傭雇?乞, 無異流亡, 至於軍額之弊, 則以今三百戶之民, 欲充近六百之額, 故分徵隣族, 一境??。六千石未捧, 三百名闕額, 俱爲無用之一虛簿, 卽今救弊, 莫先於招集流民而逋?不除, 則闔境無安頓之日, 收布不停, 則來民有還散之勢, 與丹․懷兩邑, 同蒙一視之澤事, 爲請矣。本縣處於嶺底, 乙亥以後, 被災偏酷, 流散過半, 視丹․懷無甚異同, 目下事勢, 誠如書辭, 不可無別樣軫恤之道。舊未捧還穀中合沒流亡, 則頃因朝令, 本縣最多一年條, 亦必入於蕩減, 而其外未蕩減之數, 特爲一?蕩減, 時存者則窮貧無依, 雖曰難捧, 比諸流亡, 猶有間焉, 一體蕩減, 不可輕議。此則使之限明秋停捧, 書中所謂以未捧爲已捧者, 卽虛錄也。虛錄之多, 至二千餘石, 萬萬驚駭, 此則法令至嚴, 自有其律, 當該守令, 令道臣指名現告, 各其名下虛錄實數, 亦爲分錄, ?卽狀聞, 依律勘罪。至於軍額之多闕難塡, 在本邑雖爲切悶之弊, 此非朝家遙度指揮之事, 亦令道臣, 商量事情, 參酌分數, 移定於道內他邑, 戊寅以上未捧軍米布, 限今年停退, 以爲安集流民之地爲宜, 以此分付, 何如? 上曰, 永春, 嶺下最殘邑乎? 永春依丹․懷例施行, 則此後他邑, 亦必有請如永春者, 多矣。尙魯曰, 丹陽․懷仁, 則專爲安集, 別遣繡衣, 一?蕩減之政, 出於一時特敎, 非他邑所可引例仰請, 亦非在下者所可依此請施, 而大抵丹陽․永春․淸風․堤川, 處在嶺下, 是謂四郡也。淸․堤兩道之民散邑弊, 殆無異於永春, 若見永春之獲蒙蕩減, 則此兩邑, 似不無希望之心矣。上曰, 然則今卿所請者, 比丹․懷有差等耶? 尙魯曰, 然矣。上曰, 流亡․時存, 雖似有異, 蕩減獨及於流亡, 而不及於時存者, 則時存者, 亦無依之類也, 豈無盡散之慮耶? 其在一視之政, 竝許蕩減, 何如耶? 尙魯曰, 蕩減至重, 存與逃有間, 宜有界限於其間。故自下不得仰請有差, 而自上如欲一視, 則是特思[特恩]也, 臣不必爭覆矣。左議政申晩曰, 時存, 與流亡絶戶有異, 似不合混施蕩減, 此所以臣等所請之有差等者也。上曰, 諸臣中如有以一體蕩減爲不可者, 各奏意見, 可也。益炡曰, 還上至重, 大臣所陳, 宜有界限之請, 誠爲得當, 而卽今時存者, 亦皆無依?乞之類, 則與其流亡者, 一體蕩減, 係是一時特思[特恩]。臣意則不必限明秋停捧, 莫如及今蕩減, 以示一視之德意, ?令還集之民, 無至更散之弊, 恐合事宜矣。昌誼曰, 還谷體重, 蕩減之政, 不容輕議, 而本縣民隱, ?如上書所陳, 則自上旣有所聞之後, 間用特恩, 恐無不可矣。李益輔曰, 雖是無依難捧之類, 此與流亡絶戶有異, 似不當混入於蕩減之中, 宜有差等之道矣。
上曰, 依爲之。至於時存者, 限明秋停捧之請, 所請雖有界限, 噫, 傭雇持瓢之類, 奚異流亡? 本縣特差時, 予有下敎, 不聞則已, 旣聞之後, 何忍差等, 以付後滌乎? 孟子??章, 勸王擴充其善端, ?以微物, 興懷言民之時, 亦豈恝視一體蕩減? 頃聞舊府使成天柱之言, 淸風之民願爲丹․懷氓云, 其五字尙今在耳。若此, 則時府使同一侍從之臣, 其何一聞一否乎? 今聞卿奏, 其亦連界云, 旣憶所奏, 若無一視之政, 淸風之民, 豈無向隅之歎耶? 令道臣舊逋多寡其間事狀, 從實啓聞後, 登對, 稟處。出擧條 尙魯曰, 日昨有所仰達, 而適値庭候, 未暇言私, 今則處義之道, 不可不顧, 故敢達矣。言旣出於經幄, 則臣方待罪鼎席, 冒沒出行, 其在廉隅, 當如何哉? 且如臣者, 實無益於國家, 其在國體私義, 不可一味冒據矣, 乞賜處分焉。晩曰, 領相亦爲仰奏, 而惶蹙難安, 則比領相尤緊切矣。臣等若恬然, 則此亦關於紀綱矣, 伏乞斥退焉。上曰, 凡事, 諒爲之, 可也。昨以一番陳箚爲言, 予以爲是矣, 而今何可若是乎? 若然, 則朝廷無人矣。中批則領相, 姻則左相, 戚則一品, 宰臣今方入侍矣, 此外何人, 不入此中者耶? 敢以滿朝字書之, 此豈治世之事乎? 不治世之事乎? 尙魯曰, 聖敎不必如是矣。上曰, 然則今日滿座備堂, 皆引嫌乎? 尙魯曰, 下敎若此, 臣不敢長奏矣。尙魯曰, 御將鄭汝稷, 腫病危重, 近雖少差, 而猶有餘危, 將臣之病旣如此, 故敢奏矣。申晩曰, 判府事李天輔痢患亦甚重, 問候亦不入來聞, 甚惶悚云矣。上命書傳敎曰, 李判府事家, 遣御醫看病, 御將家, 遣針醫看病。尙魯曰, 兪領府事亦有實病, 頃參賀班, 出去江郊矣。聞有患候, 卽爲承候來任近郊云, 大臣處義, 誠是矣。上曰, 是矣。是矣。命書傳敎曰, 一時之敎, 其無深意, 卿何自阻, 而頃者行公正使之任, 仍參賀班, 予則曰, 得大臣之體矣。伊後尋鄕, 今聞只到城外云, 予則曰過矣。目今在京時․原任, 其幾人, 且黃耈大臣, 只有卿與金奉朝賀, 其惟昔年, 豈忍逡巡江郊? 旣到城外, 豈欲不見予而去乎? ?命史官諭予??之意, 須體此意, 其卽入來事, 遣史官傳諭于兪領府事。尙魯曰, 侍從臣父推恩陞資, 國典也。朝家所以待侍從, 猶尙如此, 則國舅之父, 事體有別, 豈可無推恩之道乎? 前縣監金選慶, 加資, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 上曰, 前縣監金選慶加資事。出榻敎 尙魯曰, 北兵使, 以北評事之旣當試役, 而不爲到任, 又不請由, 任自上來之事請罷, 而此前所未有之事也。此路一開, 則實有難防之弊, 名官之習, 極爲駭然, 勿爲罷職, 明日內辭朝, 還爲下送, 何如? 上命書傳敎曰, 將幕體重, 況邊地乎? 常時軍律不嚴, 奚恃不虞? 北評事李蓍建掌試, 不過兼事, 本職邊方佐幕, 則以評事下去, 不爲到任, 不爲請由, 而任自上京, 則身爲帥臣, 不請軍律, 只爲循例狀聞, 其涉巽軟, 其在重邊地之道, 豈可尋常處之? 北兵使李柱國拿問處之, 李蓍建, 大臣以勿罷促赴爲請, 雖得體, 予則曰到今綱紀解弛之時, 邊地宜顧, 其卽下送北兵營, 令北兵使雖施軍律, 其何過也, 而雖不施軍律, 令帥臣從重決棍, 事理當然, 而帥臣旣命拿問, 無擧行者, 循例促赴, 事體不然。至今此任謀免之日, 若不嚴加懲勵, 則評事之職, 將爲革?, 亦不可循例處之, 李蓍建, 鏡城府勿限年充軍, 監司徐命臣, 北評事李蓍建若是慢蹇, 自南關恣意上來, 而身兼節度使, 袖手傍觀, 其亦損體, 罷職。今者處分, 意在重邊方, 則參判徐志修其敢分揀, 事體寒心, 罷職。晩曰, 領相今番正使之行, 勢難爲之, 元輔不可遠出, 且顧國事, 願留焉。上命書傳敎曰, 左右相之元輔正使任請留, 意在所重, 旣已依請, 豈徒元輔? 三公僅備員, 原任亦無可代者, 正使以宗臣備擬事, 分付。鼎輔曰, 今此封爵回甲, 赦各道放未放申本, 今始入來, 慶尙監司趙?申本中, 以特敎, 定配罪人李明中․鄭承來, 入於稟秩, 而臣府不得擅便, 敢此仰達矣。上曰, 以何事定配乎? 鼎輔曰, 李明中頃除晉州牧使, 以不赴任, 卽其地定配, 鄭承萊以平安監司, 幕裨關西木發賣事, 定配於巨濟矣。
上曰, 竝特放, 可也。出擧條 尙魯曰, 申敬日五年謫居, 亦已徵罪, 大?屢經, 尙未蒙放矣。上命書傳敎曰, 申敬日․姜維․許?, 所坐雖不輕, 屢經大?, 竝特爲放送事, 分付。尙魯曰, 臣日前以權師彦事, 有所仰陳矣。當初臺啓, 以名出賊招爲言, 故臣果信而仰達, 追聞權師彦之祖, 曾無名出賊招之事, 而臺啓以爽實, 卽爲停啓云。然則臣之當初奏辭不審之失, 誠爲惶恐。然師彦之祖爲完伯時, 亦有自中彈劾者, 以此言之, 不可謂全然無瑕累, 而至於逆獄, 元無名出之事, 則不可不一番仰陳其事實, 故敢此仰達矣。上曰, 然乎? 上曰, 髥多者, 師彦乎? 益炡曰, 髥多者, 其兄泰彦也。象漢曰, 告廟頒敎, 已爲擇日啓下, 而嘉禮時則儲慶宮不爲告廟事, 筵中定奪矣。向日一體告廟之敎, 今番平復告由, 亦爲一體擧行, 而此後永爲定式施行乎? 敢稟。上曰, 依爲之。出擧條 象漢曰, 坤殿平復陳賀, 已涓吉矣。王世孫冊封吉日, 定於今二十二日, 冊寶內入, 定於二十一日, 以此日擧行, 何如? 上曰, 依爲之。象漢曰, 三度習儀, 冊寶內入之日兼行, 似爲便當, 敢稟。上曰, 依爲之。出擧條 象漢曰, 陳賀儀註, 當磨鍊以入矣。王世孫率百官陳賀進箋, 依例磨鍊以入, 何如? 上曰, 依爲之。象漢曰, 時敏堂陳賀, 何以磨鍊乎? 上曰, 時敏堂陳賀置之。出擧條 象漢曰, 冊封箋文, 今方次第入來, 而以退行改擇日之故, 箋文中所書日字相左, 依己丑年例, 自本曹改塡以入乎? 敢稟。上曰, 正日不遠, 勿爲改書, 仍用, 可也。出擧條 上曰, 承旨盡爲行公乎? 泰和曰, 李基敬在鄕云矣。上命書傳敎曰, 政官牌招開政, 在外承旨遞差, 今日政, 以在京無故人備擬。鎭恒曰, 臣有所懷, 惶恐敢達矣。臣蒙聖恩, 待罪言地, 晝思夜度, 若有一分, 有益於國家, 而少報聖恩, 則雖今日仰達, 明日伏誅, 何敢不達哉? 數日前處分後, 前後嚴敎, 臣亦見之。臣亦殿下臣子, 何敢以私意, 一毫營護, 而目今言路之杜塞, 何如耶? 殿下深軫日後無窮之慮, 特推俄者諸罪人疏放之聖意, 雖不惜金時粲, 而惜言路, 前後嚴敎, 請還收焉。上曰, 苟且矣。其止之。諸臣以次退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 35년 7월 6일 (갑인) 원본1171책/탈초본65책 (24/24) 1759년 乾隆(淸/高宗) 24년/ ○ 己卯七月初六日辰時, 上御熙政堂。藥房三提調入診入侍時, 都提調李?, 提調李昌壽, 副提調元仁孫, 記事官邊得讓․金普淳․李之晦, 醫官金履亨․李以楷․金德崙․金履貞․鄭允協․金鳳齡․慶絢, 以次進伏。?曰, 聖體若何? 上曰, 今日齒?差愈, 達宵穩宿, 氣亦舒矣。?曰, 細辛茶, 夜則不用耶? 齒?浮高之候, 更若何? 上曰, 雖非如常, 而不大段矣。?曰, 水刺之節, 亦何如? 上曰, 少勝矣。?曰, 朝進建功湯, 晩後當更進乎? 上曰, 日再服乎? 履亨曰, 當日再服矣。?曰, 使醫官診候, 何如? 上曰, 唯。上命書傳敎曰, 齒?差愈, 理中建功湯․粟米飮, 依頃日日次議定。仍爲進御, 後日次問候宜矣。上曰, 金履亨下送, 可也。?曰, 姑觀後日次下送, 好矣。上曰, 依爲之。?曰, 中宮殿, 六一散, 連爲進御乎。上曰, 進御矣。?曰, 昨見禮曹草記下所書傳敎, 則不許復膳矣。雖以各方狀啓見之, 江華․開城, 雨亦連來, 其外諸道狀啓, 姑未見, 而向日之雨, 似不足矣。旣得雨後, 何不許復膳之請乎? 上曰, 予則謂雨不足矣。?曰, 事天之誠, 臣實欽仰, 而天旣下雨。殿下若不復膳, 則亦非事天以誠之道也。上笑曰, 減膳之敎, 元不大段, 而雨來之數, 亦如減膳之數矣。仍命書傳敎曰, 大臣强請復膳, 依禮曹草記施行。上命承旨, 呼寫徽殿祭文訖。上又命入御製記懷讀奏。?曰, 忠淸水使張志?, 以今秋水操, 旣行於昨年, 而今年年事, 不及於他道云。況當新穀未登之時, 許多軍卒資糧赴操之弊, 不可不念, 而領左相之意亦如此, 故敢達。上曰, 水操之弊如此, 則陸操亦當有弊矣。營將巡點之弊, 比陸操, 如何? 提調亦備堂, 達之, 可也。?曰, 陸操與水操同矣。豈無弊乎? 昌壽曰, 聞湖西今年穡事頗?, 雖詰戎重事, 宜有爲民省弊之道, 而至於巡點之弊, 比操鍊差間, 而亦不?矣。上曰, 今年水操, 特爲停止, 水操旣停, 陸軍何待狀聞, 陸操及營將巡點, 亦爲停止。出擧條 上又命書傳敎曰, 詩云邦畿千里維民所止, 湖西旣命停止。況畿甸之民, 何待狀請? 京畿水操, 一依停止事, 分付。仁孫曰, 明日講經, 而諫院無行公, 正言李普溫, 亦有相避, 不可謂無故矣。明日難爲備員, 故敢達矣。上曰, 憲府則皆有之乎? 仁孫曰, 皆有之, 而持平一人在外, 當不久入來矣。上命書傳敎曰, 監試官備擬在明。今聞正言李普溫, 自在應遞之科, 遞差, 其代政官牌招開政, 朴起采不計由限, 牌招察任。?曰, 提調方帶宗簿提調, 御牒譜略, ?已內入, 而書啓則未下矣。上命書傳敎曰, 雖不設廳, 今番事體重矣。御牒譜略修整時, 宗簿提調及書寫官以下, 依例書啓。上曰, 卿等先退。仁孫曰, 頃者大臣, 以權師彦之祖重經, 累出賊招, 仰達, 其時有擬望注書罷職之命, 此實出於嚴?防之聖意也。其後大臣, 更有所奏云, 若然則注書罷職之敎, 似過中矣。上曰, 大臣曾以爽實爲言矣。其時罷職者誰也? 仁孫曰, 李晉武․韓必壽․李祉承, 其後皆已敍用, 今不必仰達, 而當初傳敎, 旣知過中, 故不敢自隱矣。上曰, 承旨之心, 誠是矣。仍命書傳敎曰, 權師彦本事, 大臣旣已復奏。當該擬望注書處分下敎爻周, 諸臣退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 36년 4월 18일 (임진) 원본1180책/탈초본66책 (10/16) 1760년 乾隆(淸/高宗) 25년/ ○ 持平金養心達曰, 干連人英梅, 更令鞫廳, 嚴刑窮問, 期於得情, 請尹宅履․德喜等, 更令王府拿鞫嚴訊, 以正王法。請島配罪人鼎九, ?令王府依律正刑, 請還收罪人桂永放送之令, ?令攸司依律處斷。請罪人彦 杓․楊祚等, 仰稟大朝, 更加嚴鞫得情, 請稟于大朝, 還收柱泰․昌翼酌處之命, 更加嚴鞫得情, 依律處斷。請定配罪人孝曾․孝順, 稟于大朝, ?令王府更加嚴鞫得情, 請稟于大朝, 還收崔守仁定配之命, 更加嚴訊, 期於得情。請仰稟于大朝, ?․?諸子, 竝令絶島移配, 請還收罪人應昌酌處之令, 依律處斷。請稟于大朝, 還收減等罪人柳東垣․尹光纘․吳命佑․吳重觀․趙載敏放送之命, 依本律, 還令仍前定配。請殺獄罪人老秋, 僞造印信罪人梁德秋, 稟于大朝, 竝命依律勘斷。措辭見上 風憲之長, 地望甚重, 有非人人濫授, 而前大司憲李得宗, 賦性愚?, 行已賤陋, 從前踐歷, 已多物議, 而向來燕行, 多行鄙?之事, 厚招貪汚之名, 象譯唾罵, 搢紳傳笑, 如此之人, 不可置之於長憲之任, 請前大司憲李得宗改正。都承旨具允鈺, 爲人輕淺, 本不合於知申之任, 而下僚陞資, 長官引疾, 自是院中流來之美事, 而?以序陞之匪其人, 隱忍?冒, 無意解免, 一院傳笑, 吏隷竊譏, 淸朝禮讓之風, 雖不可責之於此類, 而其喪廉愧而羞搢紳, 則極矣, 至於槐院提擧, 亦係名選, 而濫被新差, 物議愈激, 請都承旨具允鈺, 削去仕版, 所帶承文提調, 亦令改正。兩司處置, 亦可見言議風裁, 而李壽德․閔塾之處置兩臺也, 遣辭苟簡, 全失臺體, 請前司諫李壽德, 前掌令閔塾, 罷職不敍。亞諫納言, 自是兩司之淸望, 而李聖檍之鄙微, 南彦彧之疲劣, ?緣濫通, 物情俱駭, 請李聖檍․南彦彧, 勿復檢擬於亞長納言之望。冑筵勸講, 何等重任, 而前輔德沈益聖, 全沒文識, 且甚昏庸, 前文學尹冕東, 本以輕詐之輩, 惟事趨附之態, 及?是任, 大拂公議, 請前輔德沈益聖, 前文學尹冕東改正。記注之薦, 雖非極選, 而苟非參下之稍有名稱者, 則不可亂參於?選之中, 而鄭文柱之鄙屈, 金樂洙之寒微, 權師彦之?雜, 俱是人望之外, 而?緣圖囑, 濫入薦剡, 向來臺書, 旣論是薦, 而只擧鄭煥猷爲言, 煥猷之地閥凡百, 豈下於此數輩, 而其所駁正, 獨及於煥猷, 物情駭笑, 久而愈激, 請鄭文柱․金樂洙․權師彦, 竝令削薦。主薦之人, 亦施譴罷之典, 近來反?之習, 已非搢紳之美風, 而囚供醜辱, 亦係世變之大者也, 鄭益良, 魏興祖之誣辱繡衣於問目之外者, 情狀可痛, 後弊不?, 而鄭益良之善地薄竄, 猶爲末勘, 魏興祖之永刊仕籍, 尤是寬典, 不可罪同而罰異, 請仰稟大朝, ?施魏興祖竄配之典。新除掌令權瑞東, 時在江原道江陵地, 掌令金應濂, 時在慶尙道榮川地, 司諫院大司諫尹東暹, 時在京畿水原地, 正言金魯鎭, 時在漣川地, 竝請斯速乘馹上來事, 下諭。答曰, 不從。李得宗․具允鈺事, 卿宰之削版改正, 何等重事, 而一筆竝論, 少無顧藉, 論人豈可若是乎? 李聖檍․南彦彧事, 殊涉過矣, 鄭文柱․金樂洙․權師彦事, 所論亦未知其穩當, 魏興祖事, 大朝當初處分, 旣出於體下之聖意, 則今此請竄, 極爲未安矣。李壽德․閔塾․沈益聖․尹冕東事及下諭事, 依達。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 36년 8월 3일 (갑술) 원본1184책/탈초본66책 (22/23) 1760년 乾隆(淸/高宗) 25년/ ○ 庚辰八月初三日辰時, 上御景賢堂。常參入侍時, 行都承旨李景祜, 左承旨尹東暹, 右承旨安?, 右副承旨沈?, 同副承旨趙榮進, 記事官任希孝, 假注書申光輔, 記事官李在簡․姜趾煥, 諸臣以次進伏訖。李景祜曰, 左副承旨金尙喆暑?猝劇, ??直所, 不得入侍矣。上曰, 病勢旣劇, 則何可强令供劇耶? 從當許遞矣。領議政金尙魯曰, 聖體若何? 上曰, 一樣矣。因命安?書傳敎曰, 噫, 頃年聽政, 卽予苦心, 今日常參, 其豈樂爲? 一則常參之闕, 槪已久矣。近因元良溫行, 大小公事, 其間摠察, 承旨旣已持公事入侍, 則因此時爲元良, 與大小臣工勉飭之意, 一則自强之意, 陟降下臨, 政院日記, 史官時政, 特書常參, 其亦自强之一道故也。噫, 十年未行之事, 今辰復行, 予則心懷一倍, 而於諸臣之道, 其當聳動之不暇, 而時刻已晩, 耳目之官, 今日尤聾, 呼聲不止, 僅備一員, 非徒臣分之寒心, 不可使聞於隣國, 此則垂畢, 當爲下敎, 政院不能預爲申飭, 有此苟艱, 諸承旨竝從重推考。予雖衰矣, 心不太耗, 白首暮年, 決不可行苟且之事而止, 明日當正門朝參時刻, 卯初初刻爲之。噫, 此乃諸臣之過, 於我軍兵何有, 禁軍只二番擧, 行事, 分付。尙魯曰, 臣?在大臣之列, 不能常時董率, 致令諸臣, 稽滯於特敎常參之時, 誠不勝萬萬惶悚矣。上曰, 耳目之官, 常以開疏路爲言, 而今當疏章許捧之時, 亦無進一言者, 是因誰之過耶? 尙魯曰, 晩政自强, 較觀往古, 孰有如殿下, 而群下不能奉承, 當此陳疏之時, 亦無一人言者, 是固言官之過也。連日酬應, 寢睡․水刺之節, 何如? 上曰, 食不過數匙矣。尙魯曰, 中宮殿氣候, 若何? 上曰, 一樣矣。尙魯曰, 王世孫氣候, 何如? 上曰, 安過矣。尙魯曰, 伏見傳敎, 有次對代常參之敎矣。次對自次對, 不可以常參代之矣。上曰, 常參傳敎中, 初旬次對代五字刪去。榻前下敎 尙魯曰, 今此常參, 乃是十餘年初行之盛儀也。在廷諸臣, 孰不聳動欣喜, 而臺臣之或晩到, 或在外, 至使聖敎, 俯勤兩司不備者, 雖極慨然, 旣有垂畢下敎之敎, 姑不敢仰請責罰, 而此外應參人員, 雖未知病故之如何, 不爲書進, 致煩請牌, 以事體則寒心矣。漢城判尹韓師得, 禮曹參判趙暾竝罷職, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 上曰, 判尹韓師得, 禮曹參判趙暾罷職。榻前下敎 景祜曰, 明日奠菜, 而禮曹無看品堂上, 可悶矣。尙魯曰, 近來掃墳呈辭後, 過限不上來, 誠是弊端, 今日臺臣, 亦皆稱受由在外矣。上曰, 頻捧呈辭, 是都承旨之過也。過限而不致察, 則吏曹之過也。命書傳敎曰, 近來請由紛?, 大抵掃墳請由, 自有年限, 限內疊捧, 承宣之不察, 過限未來, 亦有申飭, 而雖至百日, 其無提諭於政院, 政院亦不致察, 此該曹喉院, 俱爲?然者, 此何嚴飭? 近來受由下鄕之人, 爲先察推。又命書傳敎曰, 十年之後, 復行常參, 其豈應文而止乎? 噫, 民者國之本, 而都下之民, 倒懸日甚, 八道之民, 困窮日滋, 貢市弊釐正, 其豈偶然, 而其亦尺白, 臨門詢問, 亦非一二, 而拘於所憚, 咸曰, 無弊。噫, 金科玉條, 燦然六典, 而閼而不行者, 非法不美也。人不行也, 六典猶然, 況近者申飭乎? 度支定例之不爲過行者, 貢市釐弊後, 猶不擧行者, 令備局詳問當該官員草記, 施以判書有違之律。噫, 委以百里, 乃爲赤子, 而不顧其意, 反侵元元, 雖抱無限之?, 何訴九重, 思之及此, 若?在己, 且民以食爲天, 農者民之本也。故有爲田畯之飭, 而以農形狀聞觀之, 守令一任面報, 無親審之事。噫, 頃者之旱, 近日動民, 玉食不甘, 其猶或命御史, 或命宣傳, 廉察往審, 爲百里之官, ?一邑之民, 若不思焉, 將焉用彼守令哉? 道臣亦不飭焉, 亦豈有宣化之意哉? 噫, 今年穡事, 初有亢旱, 近有雨水, 秋成之前, 此心何弛? 以備不虞, 國之先務, 今日因領相所奏, 其雖依施, 此時一粒如金之時, 軍作米爲民措置, 儲置米及軍餉米, 亦非偶而其果着實否。命御史廉問, 其將不遠, 予當抽?摘奸, 而先令備局, 時或抽?摘奸, ?有實效。尙魯曰, 雖累?之餘, 保生民而備嗣歲者, 莫如惜穀, 況如此之歲乎? 西南姑未可知, 而其他各道, 恐將不免爲穴農矣。京司則?已下敎申飭, 而外方之耗費濫用, 甚於京司, 目下先務, 無過於此, 雖一包穀, 務加惜蓄之意, 各別嚴飭於八道道臣, 何如?
上曰, 所奏誠是矣。依爲之。出擧條 左議政李?曰, 生民休戚, 在於守令, 守令擇差, 責在銓曹, 而人之才不才, 其何能一見而辨之乎? 要在考其政績, 治有卓異, 然後擢而用之, 方可爲勸懲之道, 而使列邑守宰, 知所警飭矣。近見列邑移差者, 不無有聲績之人, 而亦多平平中移除, 此則銓官, 不免於循其顔情, 而拘於形勢之致耳。以其數遞之故, 大爲民邑之弊, 勿論京外, 宜申久任之法, 而至於外方之爲弊有甚焉, 不可不念矣。上曰, 所奏誠是。嚴飭銓曹, 名官乞郡亦太多, 卿等亦爲申飭可也。李?曰, 保民之本, 在於正朝廷, 而欲正朝廷, 鎭躁進抑奔競, 爲今之要道, 躁競甚則將必於?陷爭奪, 乘機呈私之弊矣。欲祛此習, 惟在飭勵銓官去一私字矣。上曰, 左相所奏, 誠今日藥石, 予當銘心, 亦爲嚴飭銓曹。出擧條 尙魯曰, 名官守令, 例以十五朔爲限, 而官事小不?意, 輒爲圖遞, 以貽民弊, 最可悶矣。上命書傳敎曰, 此後名官之乞郡與其外外任者, 雖玉署侍從之望, 限內勿爲檢擬, ?無數遞之弊。?曰, 軫念民生之困?, 有此傳敎, 臣實欽仰, 而卽今都下小民, 實無資生之道, 誠爲矜悶, 蓋亦由於廛名甚多。凡百物種之可以賣買而爲生業者, 皆爲廛人所專利故也。其中新設細?之廛, 使之革罷, 以爲都民生利之資, 何如? 上曰, 旣設之廛, 今若還罷, 則似有反爲弊端之慮矣。金尙魯曰, 此則誠如聖敎, 而各廛都庫之弊, 近來益甚, 商賈不敢近, 都民不能堪, 此弊不可不嚴禁矣。上曰, 今聞所奏, 甚於亂廛矣。此則依爲之。金尙魯曰, 從前非不禁斷, 而法綱解弛, 少無其效, 自今爲始, 復有此弊, 則不禁之京兆平署官員, 從重勘處, 犯者, 令該曹嚴刑定配, 何如? 上曰, 所奏誠是, 依爲之。出擧條 右議政閔百祥曰, 今春濬川, 雖出於不獲已之擧, 而耗費財力, 亦已多矣。一經?水, 輒使三軍門, 如前修築, 則一年二年, 軍需之?泄, 不知其幾許矣。當此京外俱竭之時, 此不可不深慮, 臣意則小小頹決者, 使家前隨力修補, 若其三軍門疏濬之役, 則間十年, 或間五年爲之, 似好矣。上曰, 家前之各自疏濬, 何可已耶? 金尙魯曰, 家前之隨卽疏築, 因是當爲之事, 而右相所奏, 乃捐三軍門物力也。此則誠然矣。上曰, 所奏誠是, 依爲之。出擧條 百祥曰, 小小新設廛契之名, 極其猥多, 雖至賤之物, 漸益踊貴, 都民生理之艱難, 亦由於此矣。旣往則雖不可一一革罷, 以致騷擾, 此後有司之臣, 京兆之堂, 如或憑藉事端, 許其設廛設契之事, 則各別嚴禁之意, 定式申飭, 何如? 上曰, 此後若有如此之弊, 則施以制書有違之律。出擧條 上曰, 黃海兵使李漢膺, 卽令辭朝, 而朝講同爲入侍。榻前下敎 兵曹判書洪啓禧曰, 武臣之雜岐陞資者, 勿許淸職事, 曾有特敎, 而猶未有明白正式, 眩於奉行故, 敢達。陞資者, 有階梯及射賞, 此其上也。善治善賑築城軍器別備, 又其次也。惟捕賊拯活捉虎等加資, 所當勿許淸職, 而公?修補, 則當何以處之乎? 上曰, 公?修補, 與軍器修補同矣。洪啓禧曰, 其見?, 當以內外將以上爲限, 而五衛將以下, 則勿?, 何如? 上曰, 依爲之。洪啓禧曰, 傳敎中, 有往事勿論之敎, 傳敎已前, 已行內外將者, 不當復?於內外將乎? 上曰, 然矣, 而防禦使已上, 則不可通擬矣。出擧條 判義禁洪象漢曰, 秋曹金益堅事, 旣已處分矣。盧聖中有登對以稟之敎, 故敢此仰達, 何以爲之乎? 上曰, 分揀放送, 可也。出擧條 刑曹參判趙明鼎曰, 雲山前郡守金處恒在郡時, 所逋欠官錢一千一百十一兩, 新官李陽泰, 勒懲於其時兵房金宗七, 至於闔家囚刑敗産懲族之境, 而處恒頓無還報之意。故宗七, 具由來訴於臣曹, 取見年前關西道臣按査之狀, 則處恒所負一千一百餘兩, 移懲於宗七。果是實狀, 處恒與宗七, 皆以此已經勘記, 則處恒之至今延拖, 無意備償, 致令遠外之民, 千里奔訴於京司者, 情狀極爲痛駭, 宜令處恒所在之邑, 重治懲給, 而該曹循例之關, 似無?念擧行之道, 故敢此仰達矣。閔百祥曰, 金宗七, 乃是處恒之任使將校, 處恒之那移公貨, 宗七掌其料辦, 則處恒固有罪矣。亦有逋矣, 宗七亦豈無居間獲利之事乎? 此事自該曹, 足可發關懲給, 不必如是煩稟也。
上曰, 自本道懲給事, 發關可也。出擧條 明鼎曰, 臣有區區所懷, 故敢此仰達矣。殿下以自强爲敎, 臣實欽仰, 而科條, 是自强之表, 而實行, 是自强之本也。大要, 在於開言路用人理財三件矣。疏路暫開, 而無一人進實言者, 是固群下之罪, 然人主一心, 萬化之源, 殿下來諫之道, 恐有所未盡矣。求言之擧, 亦且久曠。伏願廣求直言, 以盡來諫之道, 用人則鎭浮?抑躁競, 爲今日之急務。近來登科之數, 倍倍於前, 而官職?闕, 依舊無增, 則爭軋競先, 勢所使然。今若罕設科擧, 通籍之數, 漸以減小, 則可以塞其弊源矣。至於蔭官初授, 自有年限, 而近來幼學之奉承傳者補官於卄歲之前, 而且因監造, 徑出六品, 則尤爲躁進之捷逕。臣以爲幼學之有承傳者, 限十年補官, 永爲定式宜矣。是亦擇守令之一道也。理財則?費爲患矣, 賜典之際, ?加?節, 以衛文公大布大帛爲心, 則財用何患不給哉? 是三者, 固爲自强之實, 願留聖念焉。上曰, 所奏, 可謂今日藥石, 而至於蔭官年限, 則似難一切定式矣。明鼎曰, 別致祭與親製祭文, 事體甚重, 隱卒而錄用支子, 尤是曠絶之恩典, 不可頻數爲之矣。上曰, 所奏是矣。持平鄭枋曰, 請其時干連人英梅, 更命鞫廳, 嚴刑窮問, 期於得情。措辭見上 上曰, 尙今爭執, 其涉過矣, 不允。擧條 枋曰, 請尹宅履․德喜等, 更命王府, 拿鞫嚴訊, 以正王法。措辭見上 上曰, 尙今爭執, 其涉過矣, 不允。擧條 枋曰, 請島配罪人鼎九, ?命王府, 依律正刑。措辭見上 上曰, 今雖初聞, 其時酌處意蓋深焉。今聞此請, 殊涉太過, 不允。擧條 枋曰, 請還收罪人桂永放送之命, ?命攸司, 依律處斷。措辭見上 上曰, 噫, 其時處分, 非爲桂永, 今幾十年, 一向相持, ?我元良之心, 已亦過矣。?停今日, 不允。擧條 枋曰, 請罪人彦杓․楊祚等, 更加嚴鞫得情。措辭見上 上曰, 此啓, 尙今爭之, 專由不詣臺而然, 此等孤雛腐鼠, 何可一向强執, 以傷國體乎? 不允。擧條 枋曰, 請還收柱泰․昌翼酌處之命, 更加嚴鞫得情, 依律處斷。措辭見上 上曰, 有所酌處, 意蓋深焉。尙今爭執, 其涉太過, 不允。擧條 枋曰, 請定配罪人孝曾․孝順, ?命王府, 更加嚴鞫得情。措辭見上 上曰, 其涉太過, 何可一向傳啓乎? 不允。擧條 枋曰, 請還收崔守仁定配之命, 更加嚴訊, 期於得情。措辭見上 上曰, 其所酌處, 意蓋在焉。鼎衍二字, 豈可謄傳, 以駭聽聞乎? 今聞其名, 自曰今日, 何行此擧? 復聞此啓, 此心不能耐, ?爲?傳, 以定君心。擧條 枋曰, 請?․?諸子, 竝命絶島移配。措辭見上 上曰, 此啓終涉過矣, 不允。擧條 枋曰, 請還收罪人應昌酌處之命, 依律處斷。措辭見上 上曰, 此等之啓, 其何若是? ?停今日。擧條 枋曰, 請還收減等罪人柳東垣․尹光纘․吳命佑․吳重觀․趙載敏放送之命, 依本律還命, 仍前定配。措辭見上 上曰, 減等意在, 不允。擧條 枋曰, 請殺獄罪人老秋․印信, 僞造罪人梁德秋, 竝命依律勘斷。措辭見上 上曰, 酌處意在, 其何相持? 其令?停。擧條 枋曰, 請前大司憲李得宗改正。措辭見上 上曰, 此於筵中, 旣已酬酌, 尙今相持, 其亦過矣。雖然職在宰列, 不可置諸??。果若所陳, 自有其律, 下義禁府處之。擧條 枋曰, 請都承旨具允鈺, 削去仕版, 所帶承文提調, 亦令改正。措辭見上 上曰, 削版之請, 已是意外, 槐院提擧, 允合其人, 因循其過, 于今連啓, 今日此坐, 欲洗此習, 不允。擧條 枋曰, 請鄭文柱․金樂洙․權師彦, 竝命削薦, 主薦之人, 亦施譴罷之典。措辭見上 上曰, 其論已過, 其何循例, 不允。擧條 枋曰, 請?施魏興祖竄配之典。措辭見上 上曰, 雖有意在, 此非相持, 依啓。擧條 枋曰, 新除授大司憲尹鳳五時在忠淸道德山地, 掌令朴海潤時在溫陽地, 掌令呂善應時在京畿廣州地, 持平趙台命時在忠淸道淸州地, 司諫院大司諫金時黙時在京畿楊州地, 司諫南惠老時在忠淸道忠州地, 獻納吳奉源時在京畿果川地, 正言鄭昌順時在高陽地, 正言申景濬時在全羅道淳昌地, 請竝斯速乘馹上來事, 下諭。
上曰, 尹鳳五․申景濬, 下諭依啓。近來除旨, 輒稱在外, 爲今痼弊, 國之貳君。今方浴溫, 而偃處外鄕, 今日常參, 宜先于此, 先罷職後禁推。擧條 枋曰, 近來綱紀解弛, 堤防不嚴, ?者璿源譜略改刊時, 趙泰億之官爵, 晏然刊進, 泰億旣在刊削之中, 則宗簿諸堂, 略無顧忌, 肆然不?, 固已萬萬可駭, 而刊行之後, 公議峻發。宗簿提調綾昌君?, 始知其不可掩置, 上書于小朝, 請其刊去, 至於請對大朝之時, 又爲請刊, 而副提調李昌壽, 則旣不聯名於陳書, 又不同參於請對, 其心所在, 誠未可知也。當此?防漸壞之時, 如此無嚴之類, 不可不嚴處, 請前判書李昌壽, 削去仕版。上曰, 今日筵中, 下敎勤摯, 其於臺體, 不傳啓而引嫌, 與大臣酬酌, 而?然甚矣。予甚訝之, 無乃志此啓而然乎? 今日臺諫, 雖曰聾?, 咫尺筵席, 其豈不知, 亦不聞大僚所奏乎? 此亦躁競之一段也, 不允。擧條 上曰, 兩司下諭中, 都憲及正言申景濬外, 竝先罷職後禁推。榻前下敎 校理李潭曰, 持平鄭枋傳啓之際, 下諭後又發新啓, 有損臺體, 罷職, 何如? 上曰, 奚特損體, 應避不避, 挾雜私意, 不可罷職而止, 施以削黜之典。出擧條 上曰, 持平鄭枋不可罷職而止, 削黜。榻前下敎 潭曰, 臺臣旣多做錯, 待其畢奏, 臣雖請罷, 傳啓之際, 臺臣做錯, 承旨不爲察推, 當該承旨推考, 何如? 上曰, 臺臣方爲傳啓, 承旨何以察推乎? 儒臣, 當爲而不卽爲, 儒臣推考, 可也。出擧條 上謂諸臣曰, 鄭枋挾雜私意, 擧措慌亂, 誠重難矣。璿譜刊進, 稱以?然, 則猶之可也, 而乃謂之可駭耶? 意全在於欲逐矣。尙魯曰, 專爲此一人而發也。百祥曰, 綾昌入侍, 初非請對也。上曰, 相敬之道, 亦不當稱以可駭矣。精神專在於此, 故當避之事非一, 而他不暇顧矣。潭曰, 殿下暮年自强, 以實心行實政, 臣竊歆仰矣。常參固是盛擧, 繼自今爲之, 區區之望也。上曰, 自有古事, 決難聽從矣。副修撰鄭晩淳曰, 今日常參, 入庭不陞殿人, 推考, 何如? 上曰, 指名奏之可也。晩淳曰, 臣之所見者, 是漢城判尹韓師得, 吏曹參判曺命采矣。上曰, 依爲之。其中左判, 昨已畢奏, 今何復奏? 雖然, 今日常參, 宜先此人, 一體推考。出擧條 命書傳敎曰, 多臺有闕, 朝參有命, 政官牌招開政。上曰, 禮曹參判待下批, 卽爲牌招。榻前下敎 命書傳敎曰, 左副承旨金尙喆許遞, 今日政, 以在京無故人擧行。因命讀吏曹判書李益輔疏後下答。又命讀李潭疏後下答, 又命讀判府事李益炡疏後下答, 命書傳敎曰, 今聞李潭之章, 情理雖固然, 旣非請護, 則循例捧入, 有違格例, 事當給之, 而其在以孝爲治, 雖許往視, 其在社後弊之道, 不可無飭, 當該承旨推考。又命書傳敎曰, 今日三章, 其雖批下, 元良入京在近, 此後以上書擧行。因命諸臣退, 諸臣以此退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언(權師彦) :
조선 영조 때, 예천 출신, 본관은 안동, 성(1736生, 進士)ㆍ급(伋, 1738生, 字 敬恩, 進士)의 아버지이다.
1756년(영조 32) 정시 문과(庭試文科)에 병과(丙科) 19위로 급제하였다. 승문원 권지부정자(權知副正字)를 지냈다.
(國朝榜目, 司馬榜目)
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권사언 [記事] : 한국사료 총서/ 청대일기 / 淸臺日記 下 / 丙子(1756, 英祖 32) / 十月, 小 / 初四日 / 聞市直錢百文, 租十斗, 太五斗, 米四斗, 粟七斗而火印斗給之云, 年凶可知, 與昨年冬一樣. 永川浣山居李君尙羽, 自京而至, 去二十八日庭試, 上親臨春塘臺, 出策題, 王若曰, 乾坤未判之前, 其體何如, 盤古之後, 果有三皇乎. 以邵子十二會計之, 今幾會乎. 諸生博古多識, 各盡其篇. 用八人, 皆出京中, 而權師彦 洪秀輔得參云. 壯元則鄭遠達, 故相臣羽良之子云. 李君八月上去居中學矣, 去月晦日, 設殿講, 而上不親臨, 大臣金尙魯受講, 渠逢周易艮卦, 得分, 故還歸矣.(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 3일 (정묘) 원본1137책/탈초본63책 (14/24) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 安兼濟有?, 代權師彦爲事變假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 3일 (정묘) 원본1137책/탈초본63책 (15/24) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 李翼元啓曰, 事變假注書權師彦, 時無職名, 令諺[該]曹依例付軍職, 冠帶常仕, 何如? 傳曰, 允。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 4일 (무진) 원본1137책/탈초본63책 (24/37) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 副司直申晦․李萬育, 副司果李福源․李廷喆․鄭翼濟, 副司正洪秀輔․權師彦。(www.history.go.kr 2009)
권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 5일 (기사) 원본1137책/탈초본63책 (15/38) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 事變假注書權師彦有?, 代以金應文爲假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 32년 10월 5일 (기사) 원본1137책/탈초본63책 (23/38) 1756년 乾隆(淸/高宗) 21년/ ○ 丙子十月初五日辰時。王世子坐時敏堂。大臣․備局堂上, 引接入對時, 領議政李天輔, 刑曹判書李宗白, 判尹閔百祥, 行司直鄭?述․申晦․李章吾․金致仁, 修撰李錫祥, 右副承旨具允明, 假注書洪秀輔, 事變假注書權師彦, 記事官沈?之, 記事官李鎭恒, 以次進伏訖。天輔曰, 日寒比甚, 氣候, 何如? 感冒之候, 加減, 何如? 令曰, 感氣一樣矣。天輔曰, 眼患, 何如? 令曰, 稍減矣。天輔曰, 大王大妃殿氣候, 何如? 令曰, 一樣矣。天輔曰, 大殿氣候, 何如? 令曰, 一樣矣。天輔曰, 中宮殿氣候, 何如? 令曰, 一樣矣。天輔曰, 今日爲嬪宮初七, 而羹飯連爲進御, 無他症候乎? 令曰, 別無他症矣。天輔曰, 以聲音聞之, 咳嗽頗苦劇矣。夜間寢睡, 以咳嗽不寧乎? 令曰, 不但咳嗽, 以感氣難堪矣。天輔曰, 頭痛之候, 何如? 令曰, 頭痛亦一樣矣。天輔曰, 誠悶迫矣。睿候如是未寧, 故今日亦不敢早入求對矣。天輔曰, 此卽黃海監司狀達也。道內今年穡事, 未得?熟, 秋操特令停寢, 則本營牙兵入防, 尤無可論, 而且是受還之民, 當此捧?之時, 屢朔赴防, 則無以督俸, 今冬牙兵入防, 姑令停止事, 請令廟堂, 稟處矣。諸道?經設賑, 故秋力操一體停止, 而牙兵入防, 則與?糧赴操有間。且本道則年事梢?, 戎政不可全廢, 依例入防之意, 分付何如, 令曰, 依爲之。出擧條 天輔曰今年賑廳設賑後, 流?之人, 皆還本土, 而其中幼穉無依者, 頃因右相陳達, 自賑廳各定主人, 資活事定奪申飭矣。近見乞兒之呼號於街巷者甚多, 若當極寒, 則必致凍死, 該廳之不善擧行, 不可無飭。該廳堂郞, 從重推考, 使之嚴飭各部, 一一領付, 以爲接濟, 何如? 百祥曰, 道逢流?, 問其付諸賑廳與否及受糧數爻, 則或有一次受食者, 或有初不受食者云。一次外, 更不得受食者, 賑廳給糧, 專不留着精神之致。初無一番受食者, 似因該部, 不卽領付賑廳之致。且聞部隷洞任, 替受賑糧, 不無中間消失之弊, 臣之適有所見, 而問之者如此, 不見不問處, 可推而知, 事極寒心, 當該部官, 査出, 申飭好矣。天輔曰, 重臣方帶判尹, 而且新差惠堂, 使之査出, 各部果是當部之不察, 則官員當有罪責矣。出擧條 晦曰, 分給之際, 專任部屬, 則乾糧之不得遍及於流?, 其勢固然, 此後則各別, 申飭於該廳該部, 一一直爲分給於流?, ?有實效宜矣。宗白曰, 部隷洞任, 若爲替受, 則流?接濟, 似無實效, 宜有, 申飭矣。致仁曰, 若如前冬之結幕饋粥, 則似有實效, 而此則太早, 亦涉張大, 令各部分授於該洞人家, 分給乾糧, 使之善爲救活則似勝矣。百祥曰, 前判尹韓翼?, 分排逢授, 而多有弊端, 如是然後, 各有歸宿, 而方可依接矣。然當初賑廳給糧, 旣無精神, 該郞爲先推考, 更加申飭, ?有實惠好矣。令曰, 依爲之。出擧條 天輔曰, 故監司黃璿, 以嶺南方伯, 當戊申逆亂, 指授方略, 討平諸賊, 奏捷未幾, 盡?而畢命, 大朝震悼, 命該曹及本道, 顧助喪葬, 依功臣例, 特爲贈職贈諡矣。其時未卜葬地, 只用權?, 今十月始爲永?於坡州云。黃璿死於王事, 而大朝旣有顧助喪葬之敎, 今於永?, 令本道各別顧助, 何如? 令曰, 依爲之。出擧條 允明曰, 昨日大朝特敎, 南漢留守韓翼?, 使之今日謝恩矣。今辭書到院, 而特敎之下, 不敢捧入, ?已退却矣。翼?於特敎之下, 不爲謝恩, 極爲未安, 推考, 使之肅謝, 何如? 令曰, 廣州留守韓翼?推考, 今日內使之肅謝,。出下令 諸臣以次退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 33년 2월 16일 (무인) 원본1141책/탈초본63책 (20/47) 1757년 乾隆(淸/高宗) 22년/ ○ 以權師彦爲假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 34년 4월 3일 (무오) 원본1155책/탈초본64책 (9/23) 1758년 乾隆(淸/高宗) 23년/ ○ 注書 李迪輔病, 代以權師彦爲假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 35년 2월 3일 (갑인) 원본1165책/탈초본65책 (9/19) 1759년 乾隆(淸/高宗) 24년/ ○ 孟儒龍改差, 代以權師彦爲事變假注書。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 35년 4월 19일 (기사) 원본1167책/탈초본65책 (36/37) 1759년 乾隆(淸/高宗) 24년/ ○ 己卯四月十九日酉時, 明政殿月臺殿坐, 左右相․春秋館堂上入侍時, 監事金尙魯․申晩, 知春秋洪象漢․閔百祥, 同春秋吳遂采, 藝文提學黃景源, 右承旨南泰著, 假注書李一曾, 編修官洪敍箕, 記注官李勉進伏。金尙魯․申晩進曰, 臣等無狀, 致煩嚴敎, 罪死無惜, 揆以分義, 不敢冒入, 走伏金吾, 恭?嚴誅矣。聖敎寬大, 至有勿待命卽爲入侍之敎, 臣等固當竭蹶趨承, 而所被嚴敎, 固已萬萬惶蹙, 故猶不敢冒入矣。再次聖敎, 縷縷誨責諄諄, 臣等誠感泣無地矣。玆敢冒萬死入來, 而旣承此不忍聞之敎, 則亦何敢遽然承當此翰圈乎? 上曰, 國無不亡之勢, 而將自亡無他, 以無紀綱也。此非謂卿等有咎也, 故?陵以爲翰薦, 則必互代然後, 可也, 而予則以爲互代亦有弊, 遂以翰薦爲翰圈, 此予幾年苦心。使翰林若知此意, 則今番之圈, 豈如是乎? 如是而能事君乎? 朝鮮亡則已, 不亡之前, 豈可更通吏郞翰薦乎? 永祛掌通, 亦有意矣。今則昔之命於掌通者, 皆爲持正通, 如是而國爲國子[乎]? 今番使都堂會圈, 亦予苦心, 而若是遲滯, 予不能不爲卿等慨然矣。及聞承宣所奏, 始覺中官無狀之致, 卿等安心, 勿復引咎, 可也。尙魯曰, 臣等雖萬萬不似, 今此翰圈, 豈不知仰體聖意, 以自苟且退托於其間乎? 第以平日事君無狀, 不能見孚於君父, 致有此萬萬不忍聞之敎, 臣等之罪, 雖萬被誅戮, 實所甘心矣。上曰, 此則過矣。大抵知事雖作闕, 足可備員, 則行之, 可也, 而政院之稟旨差出, 亦不緊矣。晩曰, 其在立紀綱之道, 臣等固當被罪, 而至於今番下敎, 則實非臣子所敢聞者, 卽賜還受, 是臣等區區之望也。上曰, 今番下敎, 異於本事, 當還授矣。然一奉敎則非矣。初圈若善爲之, 則豈有如此之弊乎? 尙魯曰, 臣等見鄭昌順, 亦非有黨心者矣。上曰, 渠若懷黨心則, 尤何可用乎? 嶺南之人, 何必如剖瓜乎? 兄弟同圈, 亦何有嫌乎? 晩曰, 兄弟間取捨, 似涉苟且矣。尙魯曰, 翰圈雖如此, 堤防則不可不嚴矣。權師彦, 乃重經之孫, 而得一點, 此亦紀綱攸在也。上曰, 權重經誰也? 尙魯曰, 是權大運之子也。大運已非好人, 而至於其子重經, 則屢出逆招, 爲其孫者, 不可與平人同看, 而近來堤防漸壞, 循例擬望假官, 今又得一點, 其在嚴堤防之道, 不可不嚴飭矣。上曰, 昨日予以爲愛蠅混入矣。今聞卿言, 此則, 柳敍五亦難免矣。尙魯曰, 又有一人, 似不可爲者矣。上曰, 誰也? 尙魯曰, 鄭煥猷也。上曰, 鄭汝稷之根本, 予不知矣, 無乃與趙東漸同乎? 尙魯曰, 非爲此也, 當初則同矣, 今則已破脫久矣。第武將之子, 於此等處, 似重難矣。上曰, 此則不然, 然則李一曾何以爲翰圈乎? 晩曰, 李一曾則景春之姪也。尙魯曰, 聖意如此, 則豈敢拔之乎? 上曰, 權大運之後, 有仕於朝者乎? 尙魯曰, 無之。傳曰, 俄者下敎旣諭, 旣知中官之昏謬, 當初下敎爻周, 當該中官, 不可越俸而止, 令該府從重勘處。出傳敎 傳曰, 用人宜廣, 堤防宜嚴, 鄭履玉之一點, 權師彦之一點, 其涉無據, 其在嚴堤防之道, 不可罷職而止, 當該翰林, 施以罷職不敍之律, 因此而大臣所奏, 是矣。堂后擬望之人, 一體罷職不敍。出傳敎 傳曰, 雖大官, 旣非高蹈之士, 則處義不可若此, 以行步之艱?, 不能入侍, 朔望陪祭, 亦不進參, 其勢固然, 而練祥大祭, 其皆不參, 若樹紀綱, 宜先大官, 領敦寧趙載浩罷職。出傳敎 上曰, 假官望, 亦欲點下矣, 中官混下, 故未及爲之矣, 望單子, 還爲入之。上曰, 金普淳誰爲之乎? 泰著曰, 注書金載祿爲之矣。傳曰, 以翰圈觀之, 其習宜抑, 堂后假官望, 更爲點下, 以此擧行。出傳敎 上曰, 翰圈已停當乎? 尙魯曰, 此是重事, 故爲先招出其可合人, 然後作圈矣。上曰, 厥數幾何? 尙魯曰, 昨日則只十人矣。今番則爲二十五人矣。尙魯曰, 本圈則用紅圈, 而御前則用墨云矣。上曰, 必以墨圈爲嫌, 必以朱紅爲之, 可也。圈事訖, 尙魯曰, 圈事已訖, 臣等退出矣。上曰, 已訖乎? 退出可也。諸堂亦退出。傳曰, 旣行翰圈, 在外人, 令藝文館催促, 其令卽爲上來, 召試, 上來後, 政院稟旨擧行。出傳敎 臨退時, 上曰, 同副承旨與編次人入侍。出榻敎 遂退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 35년 윤6월 16일 (갑오) 원본1170책/탈초본65책 (29/30) 1759년 乾隆(淸/高宗) 24년/ ○ 己卯閏六月十六日辰時, 上御熙政堂。大臣․備局堂上引見入侍時, 領議政金尙魯, 左議政申晩, 知中樞府事李益炡, 判義禁李鼎輔, 左參贊李喆輔, 行司直洪鳳漢, 判敦寧李昌誼, 禮曹判書洪象漢, 行司直金聖應, 司直吳彦儒, 戶曹判書李益輔, 刑曹參判徐志修, 吏曹參判金致仁, 江華留守元景淳, 副護軍具善復, 司直崔鎭海․尹東度, 持平李鎭恒, 右副承旨李泰和, 記事官邊得讓, 事變假注書安寬濟, 記事官金普淳․李之晦, 以次進伏。尙魯曰, 日氣往而愈熱, 此時, 聖體若何? 上曰, 一樣矣。尙魯曰, 連用聖慮, 寢睡․水刺, 亦何如? 上曰, 症候平順, 故無用心, 而寢膳亦一樣矣。尙魯曰, 丸劑․湯劑, 亦連爲兼進乎? 上曰, 湯劑不進, 而瓊玉膏連進矣。尙魯曰, 中宮殿, 藥院旣直, 本院․朝廷問安, 亦以勿爲下敎, 臣民慶?, 而卽今症候, 更何如? 上曰, 大體?經, 而症候亦非可幸, 而今番又將有此賀, 亦意外矣。尙魯曰, 當此暑熱, 有此症候, 故深爲焦慮矣, 今至落痂, 不勝喜幸矣。寢睡․水刺, 亦安穩乎? 上曰, 如常矣。尙魯曰, 王世子氣候, 若何? 上曰, 一樣矣。尙魯曰, 王世孫氣候, 何如? 上曰, 好在矣。晩曰, 快復之後, 調攝之道, 尤加意爲之, 好矣。藥院亦退直, 下情亦悶矣。尙魯曰, 醫官則待令差備乎? 上曰, 待令矣。尙魯曰, 永春縣監李敬玉, 本縣舊還及軍額事, 上書小朝, 而係是民弊中大變通者, 不可循例覆達, 故敢此仰達。其書以爲, 乙亥以後, 會付未捧, 及以未捧爲已捧者, 摠爲五千八百六十餘石內, 三千六百七十餘石, 則合沒流亡指徵無處者也。二千一百八十餘石, 則雖曰時存, 傭雇?乞, 無異流亡, 至於軍額之弊, 則以今三百戶之民, 欲充近六百之額, 故分徵隣族, 一境??。六千石未捧, 三百名闕額, 俱爲無用之一虛簿, 卽今救弊, 莫先於招集流民而逋?不除, 則闔境無安頓之日, 收布不停, 則來民有還散之勢, 與丹․懷兩邑, 同蒙一視之澤事, 爲請矣。本縣處於嶺底, 乙亥以後, 被災偏酷, 流散過半, 視丹․懷無甚異同, 目下事勢, 誠如書辭, 不可無別樣軫恤之道。舊未捧還穀中合沒流亡, 則頃因朝令, 本縣最多一年條, 亦必入於蕩減, 而其外未蕩減之數, 特爲一?蕩減, 時存者則窮貧無依, 雖曰難捧, 比諸流亡, 猶有間焉, 一體蕩減, 不可輕議。此則使之限明秋停捧, 書中所謂以未捧爲已捧者, 卽虛錄也。虛錄之多, 至二千餘石, 萬萬驚駭, 此則法令至嚴, 自有其律, 當該守令, 令道臣指名現告, 各其名下虛錄實數, 亦爲分錄, ?卽狀聞, 依律勘罪。至於軍額之多闕難塡, 在本邑雖爲切悶之弊, 此非朝家遙度指揮之事, 亦令道臣, 商量事情, 參酌分數, 移定於道內他邑, 戊寅以上未捧軍米布, 限今年停退, 以爲安集流民之地爲宜, 以此分付, 何如? 上曰, 永春, 嶺下最殘邑乎? 永春依丹․懷例施行, 則此後他邑, 亦必有請如永春者, 多矣。尙魯曰, 丹陽․懷仁, 則專爲安集, 別遣繡衣, 一?蕩減之政, 出於一時特敎, 非他邑所可引例仰請, 亦非在下者所可依此請施, 而大抵丹陽․永春․淸風․堤川, 處在嶺下, 是謂四郡也。淸․堤兩道之民散邑弊, 殆無異於永春, 若見永春之獲蒙蕩減, 則此兩邑, 似不無希望之心矣。上曰, 然則今卿所請者, 比丹․懷有差等耶? 尙魯曰, 然矣。上曰, 流亡․時存, 雖似有異, 蕩減獨及於流亡, 而不及於時存者, 則時存者, 亦無依之類也, 豈無盡散之慮耶? 其在一視之政, 竝許蕩減, 何如耶? 尙魯曰, 蕩減至重, 存與逃有間, 宜有界限於其間。故自下不得仰請有差, 而自上如欲一視, 則是特思[特恩]也, 臣不必爭覆矣。左議政申晩曰, 時存, 與流亡絶戶有異, 似不合混施蕩減, 此所以臣等所請之有差等者也。上曰, 諸臣中如有以一體蕩減爲不可者, 各奏意見, 可也。益炡曰, 還上至重, 大臣所陳, 宜有界限之請, 誠爲得當, 而卽今時存者, 亦皆無依?乞之類, 則與其流亡者, 一體蕩減, 係是一時特思[特恩]。臣意則不必限明秋停捧, 莫如及今蕩減, 以示一視之德意, ?令還集之民, 無至更散之弊, 恐合事宜矣。昌誼曰, 還谷體重, 蕩減之政, 不容輕議, 而本縣民隱, ?如上書所陳, 則自上旣有所聞之後, 間用特恩, 恐無不可矣。李益輔曰, 雖是無依難捧之類, 此與流亡絶戶有異, 似不當混入於蕩減之中, 宜有差等之道矣。
上曰, 依爲之。至於時存者, 限明秋停捧之請, 所請雖有界限, 噫, 傭雇持瓢之類, 奚異流亡? 本縣特差時, 予有下敎, 不聞則已, 旣聞之後, 何忍差等, 以付後滌乎? 孟子??章, 勸王擴充其善端, ?以微物, 興懷言民之時, 亦豈恝視一體蕩減? 頃聞舊府使成天柱之言, 淸風之民願爲丹․懷氓云, 其五字尙今在耳。若此, 則時府使同一侍從之臣, 其何一聞一否乎? 今聞卿奏, 其亦連界云, 旣憶所奏, 若無一視之政, 淸風之民, 豈無向隅之歎耶? 令道臣舊逋多寡其間事狀, 從實啓聞後, 登對, 稟處。出擧條 尙魯曰, 日昨有所仰達, 而適値庭候, 未暇言私, 今則處義之道, 不可不顧, 故敢達矣。言旣出於經幄, 則臣方待罪鼎席, 冒沒出行, 其在廉隅, 當如何哉? 且如臣者, 實無益於國家, 其在國體私義, 不可一味冒據矣, 乞賜處分焉。晩曰, 領相亦爲仰奏, 而惶蹙難安, 則比領相尤緊切矣。臣等若恬然, 則此亦關於紀綱矣, 伏乞斥退焉。上曰, 凡事, 諒爲之, 可也。昨以一番陳箚爲言, 予以爲是矣, 而今何可若是乎? 若然, 則朝廷無人矣。中批則領相, 姻則左相, 戚則一品, 宰臣今方入侍矣, 此外何人, 不入此中者耶? 敢以滿朝字書之, 此豈治世之事乎? 不治世之事乎? 尙魯曰, 聖敎不必如是矣。上曰, 然則今日滿座備堂, 皆引嫌乎? 尙魯曰, 下敎若此, 臣不敢長奏矣。尙魯曰, 御將鄭汝稷, 腫病危重, 近雖少差, 而猶有餘危, 將臣之病旣如此, 故敢奏矣。申晩曰, 判府事李天輔痢患亦甚重, 問候亦不入來聞, 甚惶悚云矣。上命書傳敎曰, 李判府事家, 遣御醫看病, 御將家, 遣針醫看病。尙魯曰, 兪領府事亦有實病, 頃參賀班, 出去江郊矣。聞有患候, 卽爲承候來任近郊云, 大臣處義, 誠是矣。上曰, 是矣。是矣。命書傳敎曰, 一時之敎, 其無深意, 卿何自阻, 而頃者行公正使之任, 仍參賀班, 予則曰, 得大臣之體矣。伊後尋鄕, 今聞只到城外云, 予則曰過矣。目今在京時․原任, 其幾人, 且黃耈大臣, 只有卿與金奉朝賀, 其惟昔年, 豈忍逡巡江郊? 旣到城外, 豈欲不見予而去乎? ?命史官諭予??之意, 須體此意, 其卽入來事, 遣史官傳諭于兪領府事。尙魯曰, 侍從臣父推恩陞資, 國典也。朝家所以待侍從, 猶尙如此, 則國舅之父, 事體有別, 豈可無推恩之道乎? 前縣監金選慶, 加資, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 上曰, 前縣監金選慶加資事。出榻敎 尙魯曰, 北兵使, 以北評事之旣當試役, 而不爲到任, 又不請由, 任自上來之事請罷, 而此前所未有之事也。此路一開, 則實有難防之弊, 名官之習, 極爲駭然, 勿爲罷職, 明日內辭朝, 還爲下送, 何如? 上命書傳敎曰, 將幕體重, 況邊地乎? 常時軍律不嚴, 奚恃不虞? 北評事李蓍建掌試, 不過兼事, 本職邊方佐幕, 則以評事下去, 不爲到任, 不爲請由, 而任自上京, 則身爲帥臣, 不請軍律, 只爲循例狀聞, 其涉巽軟, 其在重邊地之道, 豈可尋常處之? 北兵使李柱國拿問處之, 李蓍建, 大臣以勿罷促赴爲請, 雖得體, 予則曰到今綱紀解弛之時, 邊地宜顧, 其卽下送北兵營, 令北兵使雖施軍律, 其何過也, 而雖不施軍律, 令帥臣從重決棍, 事理當然, 而帥臣旣命拿問, 無擧行者, 循例促赴, 事體不然。至今此任謀免之日, 若不嚴加懲勵, 則評事之職, 將爲革?, 亦不可循例處之, 李蓍建, 鏡城府勿限年充軍, 監司徐命臣, 北評事李蓍建若是慢蹇, 自南關恣意上來, 而身兼節度使, 袖手傍觀, 其亦損體, 罷職。今者處分, 意在重邊方, 則參判徐志修其敢分揀, 事體寒心, 罷職。晩曰, 領相今番正使之行, 勢難爲之, 元輔不可遠出, 且顧國事, 願留焉。上命書傳敎曰, 左右相之元輔正使任請留, 意在所重, 旣已依請, 豈徒元輔? 三公僅備員, 原任亦無可代者, 正使以宗臣備擬事, 分付。鼎輔曰, 今此封爵回甲, 赦各道放未放申本, 今始入來, 慶尙監司趙?申本中, 以特敎, 定配罪人李明中․鄭承來, 入於稟秩, 而臣府不得擅便, 敢此仰達矣。上曰, 以何事定配乎? 鼎輔曰, 李明中頃除晉州牧使, 以不赴任, 卽其地定配, 鄭承萊以平安監司, 幕裨關西木發賣事, 定配於巨濟矣。
上曰, 竝特放, 可也。出擧條 尙魯曰, 申敬日五年謫居, 亦已徵罪, 大?屢經, 尙未蒙放矣。上命書傳敎曰, 申敬日․姜維․許?, 所坐雖不輕, 屢經大?, 竝特爲放送事, 分付。尙魯曰, 臣日前以權師彦事, 有所仰陳矣。當初臺啓, 以名出賊招爲言, 故臣果信而仰達, 追聞權師彦之祖, 曾無名出賊招之事, 而臺啓以爽實, 卽爲停啓云。然則臣之當初奏辭不審之失, 誠爲惶恐。然師彦之祖爲完伯時, 亦有自中彈劾者, 以此言之, 不可謂全然無瑕累, 而至於逆獄, 元無名出之事, 則不可不一番仰陳其事實, 故敢此仰達矣。上曰, 然乎? 上曰, 髥多者, 師彦乎? 益炡曰, 髥多者, 其兄泰彦也。象漢曰, 告廟頒敎, 已爲擇日啓下, 而嘉禮時則儲慶宮不爲告廟事, 筵中定奪矣。向日一體告廟之敎, 今番平復告由, 亦爲一體擧行, 而此後永爲定式施行乎? 敢稟。上曰, 依爲之。出擧條 象漢曰, 坤殿平復陳賀, 已涓吉矣。王世孫冊封吉日, 定於今二十二日, 冊寶內入, 定於二十一日, 以此日擧行, 何如? 上曰, 依爲之。象漢曰, 三度習儀, 冊寶內入之日兼行, 似爲便當, 敢稟。上曰, 依爲之。出擧條 象漢曰, 陳賀儀註, 當磨鍊以入矣。王世孫率百官陳賀進箋, 依例磨鍊以入, 何如? 上曰, 依爲之。象漢曰, 時敏堂陳賀, 何以磨鍊乎? 上曰, 時敏堂陳賀置之。出擧條 象漢曰, 冊封箋文, 今方次第入來, 而以退行改擇日之故, 箋文中所書日字相左, 依己丑年例, 自本曹改塡以入乎? 敢稟。上曰, 正日不遠, 勿爲改書, 仍用, 可也。出擧條 上曰, 承旨盡爲行公乎? 泰和曰, 李基敬在鄕云矣。上命書傳敎曰, 政官牌招開政, 在外承旨遞差, 今日政, 以在京無故人備擬。鎭恒曰, 臣有所懷, 惶恐敢達矣。臣蒙聖恩, 待罪言地, 晝思夜度, 若有一分, 有益於國家, 而少報聖恩, 則雖今日仰達, 明日伏誅, 何敢不達哉? 數日前處分後, 前後嚴敎, 臣亦見之。臣亦殿下臣子, 何敢以私意, 一毫營護, 而目今言路之杜塞, 何如耶? 殿下深軫日後無窮之慮, 特推俄者諸罪人疏放之聖意, 雖不惜金時粲, 而惜言路, 前後嚴敎, 請還收焉。上曰, 苟且矣。其止之。諸臣以次退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 35년 7월 6일 (갑인) 원본1171책/탈초본65책 (24/24) 1759년 乾隆(淸/高宗) 24년/ ○ 己卯七月初六日辰時, 上御熙政堂。藥房三提調入診入侍時, 都提調李?, 提調李昌壽, 副提調元仁孫, 記事官邊得讓․金普淳․李之晦, 醫官金履亨․李以楷․金德崙․金履貞․鄭允協․金鳳齡․慶絢, 以次進伏。?曰, 聖體若何? 上曰, 今日齒?差愈, 達宵穩宿, 氣亦舒矣。?曰, 細辛茶, 夜則不用耶? 齒?浮高之候, 更若何? 上曰, 雖非如常, 而不大段矣。?曰, 水刺之節, 亦何如? 上曰, 少勝矣。?曰, 朝進建功湯, 晩後當更進乎? 上曰, 日再服乎? 履亨曰, 當日再服矣。?曰, 使醫官診候, 何如? 上曰, 唯。上命書傳敎曰, 齒?差愈, 理中建功湯․粟米飮, 依頃日日次議定。仍爲進御, 後日次問候宜矣。上曰, 金履亨下送, 可也。?曰, 姑觀後日次下送, 好矣。上曰, 依爲之。?曰, 中宮殿, 六一散, 連爲進御乎。上曰, 進御矣。?曰, 昨見禮曹草記下所書傳敎, 則不許復膳矣。雖以各方狀啓見之, 江華․開城, 雨亦連來, 其外諸道狀啓, 姑未見, 而向日之雨, 似不足矣。旣得雨後, 何不許復膳之請乎? 上曰, 予則謂雨不足矣。?曰, 事天之誠, 臣實欽仰, 而天旣下雨。殿下若不復膳, 則亦非事天以誠之道也。上笑曰, 減膳之敎, 元不大段, 而雨來之數, 亦如減膳之數矣。仍命書傳敎曰, 大臣强請復膳, 依禮曹草記施行。上命承旨, 呼寫徽殿祭文訖。上又命入御製記懷讀奏。?曰, 忠淸水使張志?, 以今秋水操, 旣行於昨年, 而今年年事, 不及於他道云。況當新穀未登之時, 許多軍卒資糧赴操之弊, 不可不念, 而領左相之意亦如此, 故敢達。上曰, 水操之弊如此, 則陸操亦當有弊矣。營將巡點之弊, 比陸操, 如何? 提調亦備堂, 達之, 可也。?曰, 陸操與水操同矣。豈無弊乎? 昌壽曰, 聞湖西今年穡事頗?, 雖詰戎重事, 宜有爲民省弊之道, 而至於巡點之弊, 比操鍊差間, 而亦不?矣。上曰, 今年水操, 特爲停止, 水操旣停, 陸軍何待狀聞, 陸操及營將巡點, 亦爲停止。出擧條 上又命書傳敎曰, 詩云邦畿千里維民所止, 湖西旣命停止。況畿甸之民, 何待狀請? 京畿水操, 一依停止事, 分付。仁孫曰, 明日講經, 而諫院無行公, 正言李普溫, 亦有相避, 不可謂無故矣。明日難爲備員, 故敢達矣。上曰, 憲府則皆有之乎? 仁孫曰, 皆有之, 而持平一人在外, 當不久入來矣。上命書傳敎曰, 監試官備擬在明。今聞正言李普溫, 自在應遞之科, 遞差, 其代政官牌招開政, 朴起采不計由限, 牌招察任。?曰, 提調方帶宗簿提調, 御牒譜略, ?已內入, 而書啓則未下矣。上命書傳敎曰, 雖不設廳, 今番事體重矣。御牒譜略修整時, 宗簿提調及書寫官以下, 依例書啓。上曰, 卿等先退。仁孫曰, 頃者大臣, 以權師彦之祖重經, 累出賊招, 仰達, 其時有擬望注書罷職之命, 此實出於嚴?防之聖意也。其後大臣, 更有所奏云, 若然則注書罷職之敎, 似過中矣。上曰, 大臣曾以爽實爲言矣。其時罷職者誰也? 仁孫曰, 李晉武․韓必壽․李祉承, 其後皆已敍用, 今不必仰達, 而當初傳敎, 旣知過中, 故不敢自隱矣。上曰, 承旨之心, 誠是矣。仍命書傳敎曰, 權師彦本事, 大臣旣已復奏。當該擬望注書處分下敎爻周, 諸臣退出。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 36년 4월 18일 (임진) 원본1180책/탈초본66책 (10/16) 1760년 乾隆(淸/高宗) 25년/ ○ 持平金養心達曰, 干連人英梅, 更令鞫廳, 嚴刑窮問, 期於得情, 請尹宅履․德喜等, 更令王府拿鞫嚴訊, 以正王法。請島配罪人鼎九, ?令王府依律正刑, 請還收罪人桂永放送之令, ?令攸司依律處斷。請罪人彦 杓․楊祚等, 仰稟大朝, 更加嚴鞫得情, 請稟于大朝, 還收柱泰․昌翼酌處之命, 更加嚴鞫得情, 依律處斷。請定配罪人孝曾․孝順, 稟于大朝, ?令王府更加嚴鞫得情, 請稟于大朝, 還收崔守仁定配之命, 更加嚴訊, 期於得情。請仰稟于大朝, ?․?諸子, 竝令絶島移配, 請還收罪人應昌酌處之令, 依律處斷。請稟于大朝, 還收減等罪人柳東垣․尹光纘․吳命佑․吳重觀․趙載敏放送之命, 依本律, 還令仍前定配。請殺獄罪人老秋, 僞造印信罪人梁德秋, 稟于大朝, 竝命依律勘斷。措辭見上 風憲之長, 地望甚重, 有非人人濫授, 而前大司憲李得宗, 賦性愚?, 行已賤陋, 從前踐歷, 已多物議, 而向來燕行, 多行鄙?之事, 厚招貪汚之名, 象譯唾罵, 搢紳傳笑, 如此之人, 不可置之於長憲之任, 請前大司憲李得宗改正。都承旨具允鈺, 爲人輕淺, 本不合於知申之任, 而下僚陞資, 長官引疾, 自是院中流來之美事, 而?以序陞之匪其人, 隱忍?冒, 無意解免, 一院傳笑, 吏隷竊譏, 淸朝禮讓之風, 雖不可責之於此類, 而其喪廉愧而羞搢紳, 則極矣, 至於槐院提擧, 亦係名選, 而濫被新差, 物議愈激, 請都承旨具允鈺, 削去仕版, 所帶承文提調, 亦令改正。兩司處置, 亦可見言議風裁, 而李壽德․閔塾之處置兩臺也, 遣辭苟簡, 全失臺體, 請前司諫李壽德, 前掌令閔塾, 罷職不敍。亞諫納言, 自是兩司之淸望, 而李聖檍之鄙微, 南彦彧之疲劣, ?緣濫通, 物情俱駭, 請李聖檍․南彦彧, 勿復檢擬於亞長納言之望。冑筵勸講, 何等重任, 而前輔德沈益聖, 全沒文識, 且甚昏庸, 前文學尹冕東, 本以輕詐之輩, 惟事趨附之態, 及?是任, 大拂公議, 請前輔德沈益聖, 前文學尹冕東改正。記注之薦, 雖非極選, 而苟非參下之稍有名稱者, 則不可亂參於?選之中, 而鄭文柱之鄙屈, 金樂洙之寒微, 權師彦之?雜, 俱是人望之外, 而?緣圖囑, 濫入薦剡, 向來臺書, 旣論是薦, 而只擧鄭煥猷爲言, 煥猷之地閥凡百, 豈下於此數輩, 而其所駁正, 獨及於煥猷, 物情駭笑, 久而愈激, 請鄭文柱․金樂洙․權師彦, 竝令削薦。主薦之人, 亦施譴罷之典, 近來反?之習, 已非搢紳之美風, 而囚供醜辱, 亦係世變之大者也, 鄭益良, 魏興祖之誣辱繡衣於問目之外者, 情狀可痛, 後弊不?, 而鄭益良之善地薄竄, 猶爲末勘, 魏興祖之永刊仕籍, 尤是寬典, 不可罪同而罰異, 請仰稟大朝, ?施魏興祖竄配之典。新除掌令權瑞東, 時在江原道江陵地, 掌令金應濂, 時在慶尙道榮川地, 司諫院大司諫尹東暹, 時在京畿水原地, 正言金魯鎭, 時在漣川地, 竝請斯速乘馹上來事, 下諭。答曰, 不從。李得宗․具允鈺事, 卿宰之削版改正, 何等重事, 而一筆竝論, 少無顧藉, 論人豈可若是乎? 李聖檍․南彦彧事, 殊涉過矣, 鄭文柱․金樂洙․權師彦事, 所論亦未知其穩當, 魏興祖事, 大朝當初處分, 旣出於體下之聖意, 則今此請竄, 極爲未安矣。李壽德․閔塾․沈益聖․尹冕東事及下諭事, 依達。(www.history.go.kr 2009)
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권사언 [記事] : 승정원일기/ 영조 36년 8월 3일 (갑술) 원본1184책/탈초본66책 (22/23) 1760년 乾隆(淸/高宗) 25년/ ○ 庚辰八月初三日辰時, 上御景賢堂。常參入侍時, 行都承旨李景祜, 左承旨尹東暹, 右承旨安?, 右副承旨沈?, 同副承旨趙榮進, 記事官任希孝, 假注書申光輔, 記事官李在簡․姜趾煥, 諸臣以次進伏訖。李景祜曰, 左副承旨金尙喆暑?猝劇, ??直所, 不得入侍矣。上曰, 病勢旣劇, 則何可强令供劇耶? 從當許遞矣。領議政金尙魯曰, 聖體若何? 上曰, 一樣矣。因命安?書傳敎曰, 噫, 頃年聽政, 卽予苦心, 今日常參, 其豈樂爲? 一則常參之闕, 槪已久矣。近因元良溫行, 大小公事, 其間摠察, 承旨旣已持公事入侍, 則因此時爲元良, 與大小臣工勉飭之意, 一則自强之意, 陟降下臨, 政院日記, 史官時政, 特書常參, 其亦自强之一道故也。噫, 十年未行之事, 今辰復行, 予則心懷一倍, 而於諸臣之道, 其當聳動之不暇, 而時刻已晩, 耳目之官, 今日尤聾, 呼聲不止, 僅備一員, 非徒臣分之寒心, 不可使聞於隣國, 此則垂畢, 當爲下敎, 政院不能預爲申飭, 有此苟艱, 諸承旨竝從重推考。予雖衰矣, 心不太耗, 白首暮年, 決不可行苟且之事而止, 明日當正門朝參時刻, 卯初初刻爲之。噫, 此乃諸臣之過, 於我軍兵何有, 禁軍只二番擧, 行事, 分付。尙魯曰, 臣?在大臣之列, 不能常時董率, 致令諸臣, 稽滯於特敎常參之時, 誠不勝萬萬惶悚矣。上曰, 耳目之官, 常以開疏路爲言, 而今當疏章許捧之時, 亦無進一言者, 是因誰之過耶? 尙魯曰, 晩政自强, 較觀往古, 孰有如殿下, 而群下不能奉承, 當此陳疏之時, 亦無一人言者, 是固言官之過也。連日酬應, 寢睡․水刺之節, 何如? 上曰, 食不過數匙矣。尙魯曰, 中宮殿氣候, 若何? 上曰, 一樣矣。尙魯曰, 王世孫氣候, 何如? 上曰, 安過矣。尙魯曰, 伏見傳敎, 有次對代常參之敎矣。次對自次對, 不可以常參代之矣。上曰, 常參傳敎中, 初旬次對代五字刪去。榻前下敎 尙魯曰, 今此常參, 乃是十餘年初行之盛儀也。在廷諸臣, 孰不聳動欣喜, 而臺臣之或晩到, 或在外, 至使聖敎, 俯勤兩司不備者, 雖極慨然, 旣有垂畢下敎之敎, 姑不敢仰請責罰, 而此外應參人員, 雖未知病故之如何, 不爲書進, 致煩請牌, 以事體則寒心矣。漢城判尹韓師得, 禮曹參判趙暾竝罷職, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 上曰, 判尹韓師得, 禮曹參判趙暾罷職。榻前下敎 景祜曰, 明日奠菜, 而禮曹無看品堂上, 可悶矣。尙魯曰, 近來掃墳呈辭後, 過限不上來, 誠是弊端, 今日臺臣, 亦皆稱受由在外矣。上曰, 頻捧呈辭, 是都承旨之過也。過限而不致察, 則吏曹之過也。命書傳敎曰, 近來請由紛?, 大抵掃墳請由, 自有年限, 限內疊捧, 承宣之不察, 過限未來, 亦有申飭, 而雖至百日, 其無提諭於政院, 政院亦不致察, 此該曹喉院, 俱爲?然者, 此何嚴飭? 近來受由下鄕之人, 爲先察推。又命書傳敎曰, 十年之後, 復行常參, 其豈應文而止乎? 噫, 民者國之本, 而都下之民, 倒懸日甚, 八道之民, 困窮日滋, 貢市弊釐正, 其豈偶然, 而其亦尺白, 臨門詢問, 亦非一二, 而拘於所憚, 咸曰, 無弊。噫, 金科玉條, 燦然六典, 而閼而不行者, 非法不美也。人不行也, 六典猶然, 況近者申飭乎? 度支定例之不爲過行者, 貢市釐弊後, 猶不擧行者, 令備局詳問當該官員草記, 施以判書有違之律。噫, 委以百里, 乃爲赤子, 而不顧其意, 反侵元元, 雖抱無限之?, 何訴九重, 思之及此, 若?在己, 且民以食爲天, 農者民之本也。故有爲田畯之飭, 而以農形狀聞觀之, 守令一任面報, 無親審之事。噫, 頃者之旱, 近日動民, 玉食不甘, 其猶或命御史, 或命宣傳, 廉察往審, 爲百里之官, ?一邑之民, 若不思焉, 將焉用彼守令哉? 道臣亦不飭焉, 亦豈有宣化之意哉? 噫, 今年穡事, 初有亢旱, 近有雨水, 秋成之前, 此心何弛? 以備不虞, 國之先務, 今日因領相所奏, 其雖依施, 此時一粒如金之時, 軍作米爲民措置, 儲置米及軍餉米, 亦非偶而其果着實否。命御史廉問, 其將不遠, 予當抽?摘奸, 而先令備局, 時或抽?摘奸, ?有實效。尙魯曰, 雖累?之餘, 保生民而備嗣歲者, 莫如惜穀, 況如此之歲乎? 西南姑未可知, 而其他各道, 恐將不免爲穴農矣。京司則?已下敎申飭, 而外方之耗費濫用, 甚於京司, 目下先務, 無過於此, 雖一包穀, 務加惜蓄之意, 各別嚴飭於八道道臣, 何如?
上曰, 所奏誠是矣。依爲之。出擧條 左議政李?曰, 生民休戚, 在於守令, 守令擇差, 責在銓曹, 而人之才不才, 其何能一見而辨之乎? 要在考其政績, 治有卓異, 然後擢而用之, 方可爲勸懲之道, 而使列邑守宰, 知所警飭矣。近見列邑移差者, 不無有聲績之人, 而亦多平平中移除, 此則銓官, 不免於循其顔情, 而拘於形勢之致耳。以其數遞之故, 大爲民邑之弊, 勿論京外, 宜申久任之法, 而至於外方之爲弊有甚焉, 不可不念矣。上曰, 所奏誠是。嚴飭銓曹, 名官乞郡亦太多, 卿等亦爲申飭可也。李?曰, 保民之本, 在於正朝廷, 而欲正朝廷, 鎭躁進抑奔競, 爲今之要道, 躁競甚則將必於?陷爭奪, 乘機呈私之弊矣。欲祛此習, 惟在飭勵銓官去一私字矣。上曰, 左相所奏, 誠今日藥石, 予當銘心, 亦爲嚴飭銓曹。出擧條 尙魯曰, 名官守令, 例以十五朔爲限, 而官事小不?意, 輒爲圖遞, 以貽民弊, 最可悶矣。上命書傳敎曰, 此後名官之乞郡與其外外任者, 雖玉署侍從之望, 限內勿爲檢擬, ?無數遞之弊。?曰, 軫念民生之困?, 有此傳敎, 臣實欽仰, 而卽今都下小民, 實無資生之道, 誠爲矜悶, 蓋亦由於廛名甚多。凡百物種之可以賣買而爲生業者, 皆爲廛人所專利故也。其中新設細?之廛, 使之革罷, 以爲都民生利之資, 何如? 上曰, 旣設之廛, 今若還罷, 則似有反爲弊端之慮矣。金尙魯曰, 此則誠如聖敎, 而各廛都庫之弊, 近來益甚, 商賈不敢近, 都民不能堪, 此弊不可不嚴禁矣。上曰, 今聞所奏, 甚於亂廛矣。此則依爲之。金尙魯曰, 從前非不禁斷, 而法綱解弛, 少無其效, 自今爲始, 復有此弊, 則不禁之京兆平署官員, 從重勘處, 犯者, 令該曹嚴刑定配, 何如? 上曰, 所奏誠是, 依爲之。出擧條 右議政閔百祥曰, 今春濬川, 雖出於不獲已之擧, 而耗費財力, 亦已多矣。一經?水, 輒使三軍門, 如前修築, 則一年二年, 軍需之?泄, 不知其幾許矣。當此京外俱竭之時, 此不可不深慮, 臣意則小小頹決者, 使家前隨力修補, 若其三軍門疏濬之役, 則間十年, 或間五年爲之, 似好矣。上曰, 家前之各自疏濬, 何可已耶? 金尙魯曰, 家前之隨卽疏築, 因是當爲之事, 而右相所奏, 乃捐三軍門物力也。此則誠然矣。上曰, 所奏誠是, 依爲之。出擧條 百祥曰, 小小新設廛契之名, 極其猥多, 雖至賤之物, 漸益踊貴, 都民生理之艱難, 亦由於此矣。旣往則雖不可一一革罷, 以致騷擾, 此後有司之臣, 京兆之堂, 如或憑藉事端, 許其設廛設契之事, 則各別嚴禁之意, 定式申飭, 何如? 上曰, 此後若有如此之弊, 則施以制書有違之律。出擧條 上曰, 黃海兵使李漢膺, 卽令辭朝, 而朝講同爲入侍。榻前下敎 兵曹判書洪啓禧曰, 武臣之雜岐陞資者, 勿許淸職事, 曾有特敎, 而猶未有明白正式, 眩於奉行故, 敢達。陞資者, 有階梯及射賞, 此其上也。善治善賑築城軍器別備, 又其次也。惟捕賊拯活捉虎等加資, 所當勿許淸職, 而公?修補, 則當何以處之乎? 上曰, 公?修補, 與軍器修補同矣。洪啓禧曰, 其見?, 當以內外將以上爲限, 而五衛將以下, 則勿?, 何如? 上曰, 依爲之。洪啓禧曰, 傳敎中, 有往事勿論之敎, 傳敎已前, 已行內外將者, 不當復?於內外將乎? 上曰, 然矣, 而防禦使已上, 則不可通擬矣。出擧條 判義禁洪象漢曰, 秋曹金益堅事, 旣已處分矣。盧聖中有登對以稟之敎, 故敢此仰達, 何以爲之乎? 上曰, 分揀放送, 可也。出擧條 刑曹參判趙明鼎曰, 雲山前郡守金處恒在郡時, 所逋欠官錢一千一百十一兩, 新官李陽泰, 勒懲於其時兵房金宗七, 至於闔家囚刑敗産懲族之境, 而處恒頓無還報之意。故宗七, 具由來訴於臣曹, 取見年前關西道臣按査之狀, 則處恒所負一千一百餘兩, 移懲於宗七。果是實狀, 處恒與宗七, 皆以此已經勘記, 則處恒之至今延拖, 無意備償, 致令遠外之民, 千里奔訴於京司者, 情狀極爲痛駭, 宜令處恒所在之邑, 重治懲給, 而該曹循例之關, 似無?念擧行之道, 故敢此仰達矣。閔百祥曰, 金宗七, 乃是處恒之任使將校, 處恒之那移公貨, 宗七掌其料辦, 則處恒固有罪矣。亦有逋矣, 宗七亦豈無居間獲利之事乎? 此事自該曹, 足可發關懲給, 不必如是煩稟也。
上曰, 自本道懲給事, 發關可也。出擧條 明鼎曰, 臣有區區所懷, 故敢此仰達矣。殿下以自强爲敎, 臣實欽仰, 而科條, 是自强之表, 而實行, 是自强之本也。大要, 在於開言路用人理財三件矣。疏路暫開, 而無一人進實言者, 是固群下之罪, 然人主一心, 萬化之源, 殿下來諫之道, 恐有所未盡矣。求言之擧, 亦且久曠。伏願廣求直言, 以盡來諫之道, 用人則鎭浮?抑躁競, 爲今日之急務。近來登科之數, 倍倍於前, 而官職?闕, 依舊無增, 則爭軋競先, 勢所使然。今若罕設科擧, 通籍之數, 漸以減小, 則可以塞其弊源矣。至於蔭官初授, 自有年限, 而近來幼學之奉承傳者補官於卄歲之前, 而且因監造, 徑出六品, 則尤爲躁進之捷逕。臣以爲幼學之有承傳者, 限十年補官, 永爲定式宜矣。是亦擇守令之一道也。理財則?費爲患矣, 賜典之際, ?加?節, 以衛文公大布大帛爲心, 則財用何患不給哉? 是三者, 固爲自强之實, 願留聖念焉。上曰, 所奏, 可謂今日藥石, 而至於蔭官年限, 則似難一切定式矣。明鼎曰, 別致祭與親製祭文, 事體甚重, 隱卒而錄用支子, 尤是曠絶之恩典, 不可頻數爲之矣。上曰, 所奏是矣。持平鄭枋曰, 請其時干連人英梅, 更命鞫廳, 嚴刑窮問, 期於得情。措辭見上 上曰, 尙今爭執, 其涉過矣, 不允。擧條 枋曰, 請尹宅履․德喜等, 更命王府, 拿鞫嚴訊, 以正王法。措辭見上 上曰, 尙今爭執, 其涉過矣, 不允。擧條 枋曰, 請島配罪人鼎九, ?命王府, 依律正刑。措辭見上 上曰, 今雖初聞, 其時酌處意蓋深焉。今聞此請, 殊涉太過, 不允。擧條 枋曰, 請還收罪人桂永放送之命, ?命攸司, 依律處斷。措辭見上 上曰, 噫, 其時處分, 非爲桂永, 今幾十年, 一向相持, ?我元良之心, 已亦過矣。?停今日, 不允。擧條 枋曰, 請罪人彦杓․楊祚等, 更加嚴鞫得情。措辭見上 上曰, 此啓, 尙今爭之, 專由不詣臺而然, 此等孤雛腐鼠, 何可一向强執, 以傷國體乎? 不允。擧條 枋曰, 請還收柱泰․昌翼酌處之命, 更加嚴鞫得情, 依律處斷。措辭見上 上曰, 有所酌處, 意蓋深焉。尙今爭執, 其涉太過, 不允。擧條 枋曰, 請定配罪人孝曾․孝順, ?命王府, 更加嚴鞫得情。措辭見上 上曰, 其涉太過, 何可一向傳啓乎? 不允。擧條 枋曰, 請還收崔守仁定配之命, 更加嚴訊, 期於得情。措辭見上 上曰, 其所酌處, 意蓋在焉。鼎衍二字, 豈可謄傳, 以駭聽聞乎? 今聞其名, 自曰今日, 何行此擧? 復聞此啓, 此心不能耐, ?爲?傳, 以定君心。擧條 枋曰, 請?․?諸子, 竝命絶島移配。措辭見上 上曰, 此啓終涉過矣, 不允。擧條 枋曰, 請還收罪人應昌酌處之命, 依律處斷。措辭見上 上曰, 此等之啓, 其何若是? ?停今日。擧條 枋曰, 請還收減等罪人柳東垣․尹光纘․吳命佑․吳重觀․趙載敏放送之命, 依本律還命, 仍前定配。措辭見上 上曰, 減等意在, 不允。擧條 枋曰, 請殺獄罪人老秋․印信, 僞造罪人梁德秋, 竝命依律勘斷。措辭見上 上曰, 酌處意在, 其何相持? 其令?停。擧條 枋曰, 請前大司憲李得宗改正。措辭見上 上曰, 此於筵中, 旣已酬酌, 尙今相持, 其亦過矣。雖然職在宰列, 不可置諸??。果若所陳, 自有其律, 下義禁府處之。擧條 枋曰, 請都承旨具允鈺, 削去仕版, 所帶承文提調, 亦令改正。措辭見上 上曰, 削版之請, 已是意外, 槐院提擧, 允合其人, 因循其過, 于今連啓, 今日此坐, 欲洗此習, 不允。擧條 枋曰, 請鄭文柱․金樂洙․權師彦, 竝命削薦, 主薦之人, 亦施譴罷之典。措辭見上 上曰, 其論已過, 其何循例, 不允。擧條 枋曰, 請?施魏興祖竄配之典。措辭見上 上曰, 雖有意在, 此非相持, 依啓。擧條 枋曰, 新除授大司憲尹鳳五時在忠淸道德山地, 掌令朴海潤時在溫陽地, 掌令呂善應時在京畿廣州地, 持平趙台命時在忠淸道淸州地, 司諫院大司諫金時黙時在京畿楊州地, 司諫南惠老時在忠淸道忠州地, 獻納吳奉源時在京畿果川地, 正言鄭昌順時在高陽地, 正言申景濬時在全羅道淳昌地, 請竝斯速乘馹上來事, 下諭。
上曰, 尹鳳五․申景濬, 下諭依啓。近來除旨, 輒稱在外, 爲今痼弊, 國之貳君。今方浴溫, 而偃處外鄕, 今日常參, 宜先于此, 先罷職後禁推。擧條 枋曰, 近來綱紀解弛, 堤防不嚴, ?者璿源譜略改刊時, 趙泰億之官爵, 晏然刊進, 泰億旣在刊削之中, 則宗簿諸堂, 略無顧忌, 肆然不?, 固已萬萬可駭, 而刊行之後, 公議峻發。宗簿提調綾昌君?, 始知其不可掩置, 上書于小朝, 請其刊去, 至於請對大朝之時, 又爲請刊, 而副提調李昌壽, 則旣不聯名於陳書, 又不同參於請對, 其心所在, 誠未可知也。當此?防漸壞之時, 如此無嚴之類, 不可不嚴處, 請前判書李昌壽, 削去仕版。上曰, 今日筵中, 下敎勤摯, 其於臺體, 不傳啓而引嫌, 與大臣酬酌, 而?然甚矣。予甚訝之, 無乃志此啓而然乎? 今日臺諫, 雖曰聾?, 咫尺筵席, 其豈不知, 亦不聞大僚所奏乎? 此亦躁競之一段也, 不允。擧條 上曰, 兩司下諭中, 都憲及正言申景濬外, 竝先罷職後禁推。榻前下敎 校理李潭曰, 持平鄭枋傳啓之際, 下諭後又發新啓, 有損臺體, 罷職, 何如? 上曰, 奚特損體, 應避不避, 挾雜私意, 不可罷職而止, 施以削黜之典。出擧條 上曰, 持平鄭枋不可罷職而止, 削黜。榻前下敎 潭曰, 臺臣旣多做錯, 待其畢奏, 臣雖請罷, 傳啓之際, 臺臣做錯, 承旨不爲察推, 當該承旨推考, 何如? 上曰, 臺臣方爲傳啓, 承旨何以察推乎? 儒臣, 當爲而不卽爲, 儒臣推考, 可也。出擧條 上謂諸臣曰, 鄭枋挾雜私意, 擧措慌亂, 誠重難矣。璿譜刊進, 稱以?然, 則猶之可也, 而乃謂之可駭耶? 意全在於欲逐矣。尙魯曰, 專爲此一人而發也。百祥曰, 綾昌入侍, 初非請對也。上曰, 相敬之道, 亦不當稱以可駭矣。精神專在於此, 故當避之事非一, 而他不暇顧矣。潭曰, 殿下暮年自强, 以實心行實政, 臣竊歆仰矣。常參固是盛擧, 繼自今爲之, 區區之望也。上曰, 自有古事, 決難聽從矣。副修撰鄭晩淳曰, 今日常參, 入庭不陞殿人, 推考, 何如? 上曰, 指名奏之可也。晩淳曰, 臣之所見者, 是漢城判尹韓師得, 吏曹參判曺命采矣。上曰, 依爲之。其中左判, 昨已畢奏, 今何復奏? 雖然, 今日常參, 宜先此人, 一體推考。出擧條 命書傳敎曰, 多臺有闕, 朝參有命, 政官牌招開政。上曰, 禮曹參判待下批, 卽爲牌招。榻前下敎 命書傳敎曰, 左副承旨金尙喆許遞, 今日政, 以在京無故人擧行。因命讀吏曹判書李益輔疏後下答。又命讀李潭疏後下答, 又命讀判府事李益炡疏後下答, 命書傳敎曰, 今聞李潭之章, 情理雖固然, 旣非請護, 則循例捧入, 有違格例, 事當給之, 而其在以孝爲治, 雖許往視, 其在社後弊之道, 不可無飭, 當該承旨推考。又命書傳敎曰, 今日三章, 其雖批下, 元良入京在近, 此後以上書擧行。因命諸臣退, 諸臣以此退出。(www.history.go.kr 2009)
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최종수정일2019.02.12



