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예천고을원 162-2 : 이권중(1747.4.17제수, 동년.5.27하직-1748이임) : 예천 등에 지진 발생
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이권중[記事] : 승정원일기/ 영조 13년 9월 15일 (경자) 원본856책/탈초본47책 (13/34) 1737년 乾隆(淸/高宗) 2년/ ○ 以李德恒爲活人別提, 朴師伯爲濟用主簿, 尹得履爲引儀, 李遇芳爲廣興副奉事, 李夏徵爲韓山郡守, 申?爲任實縣監, 徐命觀爲兼金郊察訪, 李德寅爲長水察訪, 趙倫爲召村察訪, 金光俊爲利仁察訪, 金聖來爲桃源察訪, 韓千齡爲松羅察訪, 鄭?寧爲典設別提, 尹?爲禮賓別提, 李權中爲漢城主簿, 璿源殿參奉李徵?, 厚陵參奉宋翼賢相換, 朴文秀爲靈城君, 李敏中爲尙衣直長, 吳弼運爲禮賓直長, 李德壽爲左副賓客, 金光虎爲參禮察訪, 李德壽․李宗城爲同經筵, 金取魯爲同成均, 金時粲․南至․金鎭億․金衡一爲典籍, 邊是重爲學正, 李鳳奐爲博士, 金宅魯爲校書副正字, 徐宗曄爲敦寧主簿, 李錫老爲掌苑別提, 黃灝源爲掌樂主簿, 尹東奭爲典牲直長, 魚有寬爲司宰直長, 閔樂洙爲宗廟直長, 宋翼賢爲崇陵奉事, 李觀聖爲司饔奉事, 南渭老爲司僕正, 李亮臣爲吏曹佐郞, 李亮臣爲兼校書校理, 朴成珩爲奉常正, 金時傑爲軍器僉正, 李東賓爲禧陵直長, 李光進爲尙瑞直長, 李萬增爲禮賓奉事, 柳絢爲繕工奉事, 李益烈爲平市奉事, 吳命觀爲戶曹正郞, 崔運興爲刑曹正郞, 李坰爲工曹正郞, 李錫杓爲吏曹佐郞, 李錫杓爲兼校書校理, 金柱星爲典獄奉事, 金弘得爲尙瑞副直長, 金起慶爲活人別提, 閔?爲司畜別提, 金尙魯爲兼中學敎授, 金漢喆爲兼西學敎授, 鄭益河爲司書, 李宗迪爲兼說書, 韓儀朝爲贊儀, 趙尙絅爲知春秋, 鄭錫五爲同春秋, 朴文秀爲工曹參判, 李弘齡爲宗廟直長, 李寯相爲繕工副奉事, 安德亨爲監役, 申維翰爲奉僉正, 尹惠敎爲同成均, 閔應洙爲知春秋, 韓德弼爲掌樂正, 李彙晉爲戶曹佐郞, 趙榮國爲吏曹佐郞, 金礪采爲獻陵令, 黃梓爲司成, 尹惠敎爲左參贊, 李顯道爲刑曹佐郞, 洪以楫爲監察, 李鼎輔爲吏曹佐郞, 尹澤厚爲禮曹佐郞, 李錫杓爲兼東學敎授, 趙榮國爲兼南學敎授, 李宗白爲判決事, 李衡擧爲奉常判官。(www.history.go.kr 2008)
이권중[記事] : 승정원일기/ 영조 14년 5월 16일 (정묘) 원본872책/탈초본48책 (3/15) 1738년 乾隆(淸/高宗) 3년/ ○ (以上缺)爲承旨, 金聖應爲判尹, 以趙顯命爲藝文提學, 以金廷潤爲司諫, 以閔宅洙․閔?爲正言, 以宋瓆爲文學, 以鄭觀河爲戶曹佐郞, 以韓光會爲兵曹佐郞, 以李仁好爲禮曹佐郞, 以李德恒爲平市令, 以李權中爲長興主簿, 以許?爲司圃別提, 以李慶錫爲瑞山縣監, 以金應鑑爲高原郡守, 以金時粲․元景淳爲別兼春秋, 左承旨趙命臣, 右承旨南泰溫, 會寧府使李相晟今加嘉善, 濟州牧使閔珽, 今加通政。已上加資事承傳。(www.history.go.kr 2008)
이권중[記事] : 승정원일기/ 영조 14년 9월 17일 (병인) 원본878책/탈초본48책 (15/33) 1738년 乾隆(淸/高宗) 3년/ ○ 以李周鎭爲全羅監司, 曺允成爲穩城府使, 邊柱國爲海美縣監, 李權中爲戶曹佐郞, 學錄尹光理單付。(www.history.go.kr 2008)
이권중[記事] : 승정원일기/ 영조 14년 11월 3일 (신해) 원본881책/탈초본48책 (22/24) 1738년 乾隆(淸/高宗) 3년/ ○ 乾隆三年戊午十一月初三日巳時, 上御宣政殿。常參入侍時, 行都承旨李春?, 左承旨朴聖輅, 左副承旨鄭必寧, 右副承旨尹彙貞, 同副承旨沈星鎭, 假注書李聖運․李翼元, 記事官韓時泰․李壽德, 東右議政宋寅明, 吏曹判書趙顯命, 吏曹參判洪鉉輔, 禮曹參議李世璡, 戶曹參議李?, 大司諫鄭羽良, 掌令權賢, 副修撰金尙重, 校理李性孝, 監察許健, 禮曹佐郞朴昌朝, 戶曹佐郞李權中, 吏曹假郞廳金衡一, 司錄柳顯章, 西月城尉金漢藎, 錦川君松, 全陽君李益馝, 兵曹參議柳?, 刑曹參議趙漢緯, 敦寧都正黃瑞阿, 僉知崔?來, 工曹正郞李世庚, 兵曹正郞韓光會, 刑曹佐郞吳命觀。諸臣進伏訖。必寧曰, 別雲劍洪鉉輔方在外, 進後入侍之意, 敢達。上曰, 知道。寅明曰, 近來日寒如此, 聖體若何? 上曰, 一樣矣。寅明曰, 大王大妃殿, 氣候若何? 上曰, 安寧。寅明曰, 中宮殿氣候若何? 上曰, 無事矣。寅明曰, 王世子氣候若何? 上曰, 一向安順矣。寅明曰, 常參自是盛擧, 殿坐時刻旣出之後, 若有事關聖躬者, 則可以請退而何可以群下之不卽進, 至於請退乎? 事體極爲未安, 政院能預先周旋, 申飭, 則豈至於此? 臣謂政院該堂, 宜從重推考矣。上曰, 依爲之。出擧條 寅明曰, 常參時, 有所遭引入者及未肅拜者, 或可傳牌而來, 至於連日行公之人, 自當?時刻入來, 何可至煩請牌, 而亦何必傳牌入來耶? 事體尤爲未安。今日無故懸病牌招人員, 竝從重推考, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 寅明曰, 近日朝臣, 多以家有拘忌之疾, 擧皆懸?。以今日入侍言之, 六曹長官皆不入侍, 事體極爲寒心。臣家亦有拘忌之疾, 而豈無輕重之區別乎? 此後則諸臣懸?者, 從輕重區別, 以爲齋宿供仕之地, 何如? 上曰, 或至於蕩然無禁之境, 則誠悶矣。其間豈無從輕重別者乎? 寅明曰, 湖西分等狀啓, 昨始上來, 故已爲回啓。而尤甚之次邑, 邑數太多, 稍實不過五六, 殘邑備局諸堂, 皆送言以爲, 此等邑參以所聞, 宜改置稍實云。而臣意以爲, 朝家旣以一方民事, 委之道臣, 道臣巡審分等之後, 廟堂以遠外臆見, 有所移易, 恐傷大體。且分等, 關民利病, 今以道路風傳, 或有移易, 而萬一實狀不如此, 則民之受病將如何耶? 以此往復, 仍前置之, 而分等之濫, 誠如諸堂所言。湖西道臣, 從重推考, 何如? 上曰, 所達是矣。依爲之。出擧條 寅明曰, 今年諸道災結, 初旣劃定以給, 而其或有些少出入, 非異事。故卽於筵中, 亦以此意, 仰達矣。其後連仍道臣狀請, 嶺南各有加劃, 加劃旣數多, 道臣又或任自加給, 勢將無節。此後劃給數外, 切勿擅給, 致有罪責之意, 嚴飭諸道, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 寅明曰, 藏氷米, 例自民戶收捧。而近來十數年, 或以凶歲, 或以國役, 連自賑廳代給。昨年領相, 又以凶荒請減, 而自上欲永減, 其時諸臣, 以存半之義持難矣。今年凶稔, 比昨年有加, 有難責徵於民戶, 依近例姑減, 亦令賑廳代給, 何如? 上曰, 予於恤民之事, 豈有所惜? 而但每每除減, 則日後收捧民戶之時, 民必爲作無前之新規者, 亦有其弊。而今年又値凶稔, 依昨年例擧行, 可也。出擧條 寅明曰, 外方守令之此時曠官, 極可悶。其上京者令該曹可以催促, 而其家在他道棄官歸臥者, 自京無以知之, 一任久曠, 民受其弊, 尤可駭也。聞靑陽縣監鄭權, 棄官歸嶺南本家者已久, 本道狀請催促, 自該曹至於行關嶺南, 而無意還任云, 事極寒心。鄭權宜拿問催促還任, 而終難還任, 則依法其地定配。臣之所聞者, 雖鄭權一人, 而安知此外, 更無如此者耶? 令該曹査問諸道, 一體施行, 何如?
上曰, 豈有如許道理乎? 留京者或可聞知, 而道臣之不能申飭在鄕者, 殊極非矣。寅明〈曰〉, 湖西道臣, 聞已狀請催促, 吏曹亦爲行關於嶺南云矣。上曰, 事極駭然, 鄭權拿問定罪, 諸道如有守令之在鄕未還任, 而道臣不爲狀聞, 推考, 可也。出擧條 寅明曰, 使行時平安都事, 當領人馬, 入往柵門, 又復領還, 至於回還, 使行延卜時, 例多奸弊。平都領率往來, 可以檢飭, 而若無都事, 則以察訪爲假都事替行。察訪官微, 何能檢飭, 平安監司, 方以都事催促下送事狀請, 而聞都事尹澤厚, 兩司俱未署經云, 何能等待其署經。臣謂尹澤厚宜遞改, 令該曹, 以曾經侍從人, 口傳擇差, 以爲給馬下送之地, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 上曰, 朴春普之疏對, 則以爲何如耶? 不可以外面意而廣諭, 宣?之後, 時象又復如此, 誠爲寒心。春普未知有何許情勢, 而身爲新進臺官, 一入引避, 有何所難, 而不此之爲, 終爲坐罷, 極爲駭然矣。寅明曰, 臺疏臣未詳究, 而別無深緊處矣。上曰, 朴春普之論鄭益河誠過矣。而新薦史官, 亦以此??乎? 寅明曰, 別兼一人之擧行翰薦, 前例匪止一二。而所謂人言, 若指儒臣之言, 則此不過偶發, 非有餘意, 未至其可嫌, 鄭益河所遭固過矣。而史官豈可以此??, 銓官以冒出遭人言, 則銓曹除拜之人, 皆將引嫌乎? 臣未知其如此矣。上曰, 日昨史官之徑出, 其勢似然。而春普論益河, 旣涉太過, 則其在史官, 可謂皮之不存, 毛將焉付者也。史官旣已徑出, 廉隅已伸, 勿復??事, ?爲申飭, 可也。出擧條 寅明曰, 臣於昨日政, 除授本職, 曉頭始聞有常參之命。在臣分義, 所當駕不俟而趨謝, 仗未出而先詣, 而家在門外, 自致稽緩, 固已悚?矣。大臣乃以群工未及於庭燎漏刻, 差退於本時, 盛加非斥, 聖上又以諸臣必待牌招爲敎, 臣之怠慢之失著矣。不可晏然於職次。請命遞斥臣職。上曰, 勿辭。星鎭曰, 大司諫鄭羽良, 再啓煩瀆, 退待物論矣。上曰, 知道。賢曰, 臣於春坊淹直之中, 伏蒙除旨, 仍有常參之命, 而必有長僚, 則長僚當爲入侍, 故臣亦未免承牌矣。以正時之差退, 大臣非斥, 又勤聖敎, 諫長以此引嫌而退, 則臣之去就, 亦無異同, 其何可晏然於職次乎? 請命遞斥臣職。上曰, 勿辭。星鎭曰, 掌令權賢, 再啓煩瀆, 退待物論矣。上曰, 知道。尙重曰, 進見闕內, 全不肅靜, 凡出入往來之際, 暄?太甚, 固已寒心。而臣偶見堂下官高聲呵?而去, 問其爲誰, 則云是摠府郞廳, 此是曾所未有之事, 極爲駭然矣。性孝曰, 臣連爲入直, 每聞喧譁之聲, 切以爲慨然欲陳達, 而至於摠郞, 不過替番往來, 而偃然呵?於闕庭肅敬之地。其在事體, 極爲駭然。此則兵曹不能申禁之致, 各別分付, 使之嚴飭宜矣。尙重曰, 兵曹堂郞, 不可無警責之道, 堂上推考, 郞廳宜施譴責矣。上曰, 堂上推考, 郞廳從重推考, 而此後則三司外, 毋論文․蔭․武, 堂下官不得喝道, 亦勿張傘事, 申飭, 可也。出擧條 尙重曰, 臣於法綱事, 適有所懷敢達矣。近來武弁之帶各軍門千把摠者, 街道往來之際, 多率趨從, 高聲大喝, 有若崇品重宰之呵?者然。此雖是細事, 大有關於國綱, 聞之者莫不爲駭, 臺臣曾亦言之, 而一向成習, 終不可?, 事之寒心, 莫此爲甚。其所禁?之道, 專在於各軍大將, 使之申飭, 以爲各別嚴禁之地。如或復踵前習者, 隨現論責, 何如? 上曰, 依爲之。出擧條 春?曰, 右承旨南泰溫, 方在闕外, 而聞其家有拘忌之疾云, 齋宿三日後, 仕進, 何如? 上曰, 依爲之。出榻敎 諸臣以次退出。(www.history.go.kr 2008)
이권중[記事] : 승정원일기/ 영조 15년 7월 12일 (병진) 원본894책/탈초본49책 (11/28) 1739년 乾隆(淸/高宗) 4년/ ○ 吏批, 以沈?爲修撰, 趙明履爲副修撰, 吳遂采爲校理, 鄭覺先爲敦寧都正, 成範錫爲司書, 李德重爲副校理, 李泰岳爲工曹正郞, 李海運爲義禁府都事, 兪彦鐸爲監察, 李權中爲大岳判官, 洪啓章爲溫陽郡守, 李?爲司圃直長, 李會元注書單付, 李宗迪別兼春秋單付, 愼龜重兼春秋單付, 姜守珪學正單付。兵批, 朴泰鎭副護軍單付, 嚴瑀副司正單付。(www.history.go.kr 2008)
이권중[記事] : 승정원일기/ 영조 15년 7월 14일 (무오) 원본894책/탈초본49책 (14/14) 1739년 乾隆(淸/高宗) 4년/ ○ 申時。上御興政堂。六曹․京兆․繕工監․尙瑞院․典設司, 六曹內入直郞廳引見時, 同副承旨南泰良, 假注書李師祚, 記注官禹洪迪, 記事官愼龜重, 吏曹假郞廳金鼎臣, 戶曹佐郞兪宇基, 禮曹佐郞徐琛, 兵曹正郞權基彦․任述, 刑曹佐郞申?, 工曹正郞沈命達, 漢城主簿朴師傑, 繕工假監役朴弼濂, 尙瑞院直長李獻重, 典設司別提鄭最寧, 同爲入侍。上曰, 以次進來。吏曹假郞廳金鼎臣進伏。上曰, 職姓名? 鼎臣曰, 吏曹假郞廳金鼎臣, 本職則奉常寺判官也。上曰, 履歷則已知之矣。若有所懷, 則仰達可也。鼎臣曰, 假郞廳, 逐日來呈省記而已, 無他可達之所懷矣。上曰, 本寺職掌, 鼎臣曰菜園矣。上曰, 所懷? 鼎臣曰, 本寺亦無所懷, 而第本寺以祭享衙門, 近來別祭頻數, 而自戶曹以遺在取用爲言, 亦無一一上下之事, 故貢人雖甚難堪, 祭享事體重大, 故次次仍用, ?得無弊封進矣。上曰, 籍田, 汝其兼察乎? 鼎臣曰, 此則惟在於提調之劃出, 故東籍田則以參奉劃出而次知, 西籍田則以僉正劃出而次知, 臣則無次知之事矣。鼎臣退伏。戶曹佐郞兪宇基進伏。上曰, 職姓名, 宇基曰, 戶曹佐郞兪宇基也。上曰, 久任郞廳, 誰耶? 宇基曰, 李權中以久任郞廳, 方爲外任矣。上曰, 履歷? 宇基曰, 丙申年顯陵參奉, 初授職, 例陞廣興倉副奉事, 遷尙瑞院副直長, 以相避換差, 司饔院直長, 以司贍寺主簿, 出六, 又移工曹佐郞, 仍陞正郞。經果川縣監後, 以戶曹佐郞復職, 仍出爲玄風縣監矣。今年以宗簿寺主簿, 復職, 方授見職矣。上曰, 本曹留庫數幾許耶? 宇基曰, 錢二十五萬餘兩, 木三千七百餘同, 布八百九十餘同, 銀十萬五千餘兩, 金六百六十餘兩矣。上曰, 所懷? 宇基曰, 無他可達之事矣。上曰, 今日堂上來坐乎? 宇基曰, 堂上則亦坐矣。上曰, 今日郞廳中, 卯酉仕者誰耶? 宇基曰, 臣及三政郞徐宗白而已矣。承旨南泰良曰, 兪宇基, 不知同官之名一字, 此出於忘却之致, 而不以實狀仰達, 含糊以對, 推考何如? 上曰, 各司郞官召見, 有意, 而以其不知同官之名推之, 可知其不勤卯酉之坐矣。依爲之。出擧條 宇基曰, 臣?經草土, 精神都喪之中, 添以膈痰凝結, 善於遺忘, 故猝當下問, 未及記得矣。上曰, 承旨請推之後, 又爲分疏, 殊涉猥屑, 從重推考, 可也。出擧條 兪宇基退伏。禮曹佐郞徐琛進伏。上曰, 職姓名? 琛曰, 禮曹佐郞徐琛矣。上曰, 履歷? 琛曰, 丁酉年登科, 以成均館分館, 陞典籍, 仍遷監察, 壬寅除幽谷察訪, 甲辰遞來, 乙巳復職爲禮曹佐郞, 遷爲奉常判官, 丙午出爲雲山郡守, 未久在任在喪, 昨年七月復職本曹矣。上曰, 職掌? 琛曰, 稽制司矣。上曰, 所懷? 琛曰, 繼後作木, 隨數捧上, 堂郞丘價, ??上下, 其餘凡事, 堂上主管, 故別無所達矣。上曰, 本曹久任郞廳, 誰乎? 琛曰, 本曹則元無久任矣。上曰, 姓名雖熟, 顔面則依?, 似在於遐鄕矣。琛曰, 臣乃平安道祥原人矣。琛退伏。兵曹正郞權基彦進伏。上曰, 職掌? 基彦曰, 餘丁色矣。上曰, 餘丁色留在錢木幾許耶? 基彦曰, 本色, 有廳軍次知, 而所謂有廳軍, 卽忠順․忠贊․忠壯三衛, 是也。一年所捧, 九十餘同, 而隨捧隨下, 故留在木僅十九同, 而錢則百餘兩矣。上曰, 爾其入直郞廳乎, 外司乎? 基彦曰, 外司入直矣。上曰, 餘丁木, 用於何處乎? 基彦曰, 政院引陪及大臣中樞府․宗親府引陪及義禁府․諫院?隷及本曹堂郞帶率等, 每朔朔布, 自本色上下矣。上曰, 所懷? 基彦曰, 本曹有判書, 凡事稟議擧行, 別無可達之事。而但有一事宜有變通, 所謂有廳軍, 自是有蔭子孫, 一匠之役, 雖有逃?, 元無代定之規, 故額數年年耗縮。近來各邑, 亦或移定於騎步之代, 若此不已, 則不出數年, 餘丁色之目, 其將罷矣。合有一番, 申飭變通之道, 故敢達矣。
上曰, 餘丁色, 自是不緊, 故堂上不爲變通乎? 基彦曰, 騎步兵, 亦難充代, 故不爲耳。上曰, 言于堂上, 可擧者則擧之, 可也。基彦退伏。兵曹內入直正郞任述進伏。上曰, 職姓名? 述曰, 臣略有耳聾之病, 恐或於下詢之辭, 有所聽瑩, 故臣敢此先達。泰良曰, 任述, 旣有重聽之病, 則詢問之下, 當問于入侍史官仰對, 而敢以聾病, 先爲陳達, 極涉猥褻, 推考何如? 上曰, 依爲之。出擧條 上曰, 此人曾爲兼春秋矣。述曰, 臣累次爲之矣。上曰, 職掌? 述曰, 臣之所掌, 卽結束色也。結束色, 雖有如干擧行之事, 而其中禁喧一節, 最爲緊重。前後朝家申飭, 非不嚴截, 至於色郞之以此受罪者, 非止一再, 而爲弊已深, 每患生事, 誠以闕門?入之弊言之, 闕中出入之人, 本無表驗識別之路。故入門之際, 易致渾雜, ?隨之數, 亦或過濫, 以至於此。究其弊源, 實由於出入之人, 初無識別禁斷之故也。臣之愚意, 則凡內外諸各司下人之應爲出入者, 自本曹造給別牌, 使之表出以佩, 以爲看審操縱之道, 則入門之際, 易爲禁斷, 無牌之人, 自不能渾入, 而禁喧之法, 亦可以得行矣。適有所見, 敢此仰達矣。上曰, ?入之人, 自各其司推治, 可也。無前例腰牌之說, 未免?屑矣。耳聾如此, 則亦何以禁喧乎? 泰良曰, 結束色雖是禁喧之職, 而入直郞廳, 每主禁喧, 故只令結束吏來待而已矣。上曰, 然則擧動時結束色, 亦不專主禁喧耶? 泰良曰, 然矣。上曰, 彼京人乎? 泰良曰, 臣則不知其某處居生之人矣。臣師祚曰, 此人本來生長於京中者也。以此仰達, 何如? 泰良, 以此仰達。述退伏。刑曹佐郞申?進伏。上曰, 職姓名? ?曰, 刑曹佐郞申?也。上曰, 履歷? ?曰, 禧陵參奉初入仕, 例遷翼陵奉事, 漢城參軍, 司饔直長, 司僕主夫, 待罪於本職矣。上曰, 職掌? ?曰, 掌京外啓覆矣。上曰, 今年京外啓覆之數, 幾許耶? ?曰, 姑未知矣。上曰, 上來者幾許耶? ?曰, 慶尙道三度, 忠淸․京畿道各一度上來矣。上曰, 三覆之義, 汝其知之乎? 漢史所謂死者, 不可復生, 刑者不可復續云者, 可以見其恤刑之意也。凡於大?, 若不詳覆, 則惡在其設官之意乎? 汝須着念擧行, 可也。?曰, 設官定名之義, 臣亦仰體矣。況今親承聖敎, 敢不出言于堂上, 而?意擧行乎? ?退伏。工曹正郞沈命達進伏。上曰, 職姓名? 命達曰, 工曹正郞沈命達矣。上曰, 入侍初爲乎? 命達曰, 初爲矣。上曰, 履歷? 命達曰, 初付職, 以內侍敎官, 以繕工監役相換, 以宗簿寺主夫, 出六。遷刑曹佐郞, 出爲唐津縣監, 入爲掌樂主簿。罷散矣, 以見帶之職, 復職矣。上曰, 職掌。命達曰, 攻冶司矣。上曰, 所懷? 命達曰, 本曹, 本是閒局, 別無所達。上曰, 今日卯酉仕所進人, 幾何耶? 命達曰, 一員未肅拜, 二員宗廟北郊祭進排去, 一員身病受由, 一員式暇, 故無來會者矣。上曰, 今日堂上開坐耶? 命達曰, 不坐矣。命達退伏。漢城主簿朴師傑進伏。上曰, 職姓名? 師傑曰, 漢城主簿朴師傑也。上曰, 履歷? 師傑曰, 繕工監役初入仕, 以監造官出六, 爲氷庫別提, 與所帶之職相換矣。上曰, 職掌? 師傑曰, 臣之所掌則刑房, 而刑房所次知者, 卽閭家奪入及檢屍等事, 工房則所次知者, 四山松禁及赤馬定送等事矣。上曰, 閭家奪入四山松禁, 必有法久廢弛之患矣。師傑曰, 閭家奪入, 臣府亦有是慮, 故令部官五日一摘奸, 外府郞廳, 亦於一月一次摘奸矣。松禁則山直五日呈課之規廢, 故時或出別禁, 而其所捉來者, 不過五六十歲老人, 十餘歲兒弱而已。以此之故, 旣不能以施杖, 而亦不能以徵贖矣。上曰, 禁吏輩, 必有從中操縱之弊矣。師傑曰, 不無此弊, 故本府亦時時飭勵, 而最難禁者, 各軍門軍兵等耳。上曰, 士夫家尤甚矣。師傑曰, 然矣。上曰, 六十餘歲老人及十餘歲兒弱, 何以斫去松木乎? 此不過不爲嚴飭之致, 本府堂上, 所當推考, 而不爲矣。此後則嚴飭爲之, 可也。師傑曰, 敢不着意擧行乎?
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최종수정일2019.02.12



